琳派が残した「奥行き」と「間」を楽しむ絶品ゴールデンウイーク

      2017/11/01

俵屋宗達 風神雷神図

俵屋宗達の「風神雷神図」

金箔の使い方が見るものを圧倒する俵屋宗達の「風神雷神図」で描かれた「間」のある配置の魅力は、現代美術、デザインにも継承されていることでも有名です。

俵屋宗達の風神雷神図は琳派を代表する名画で、時空を超えて後の尾形光琳、酒井抱一にも受けつがれています。

琳派(りんぱ)は、桃山時代後期に本阿弥光悦と俵屋宗達が創始、尾形光琳・乾山兄弟によって発展、江戸時代には酒井抱一・鈴木其一がによって定着。近代まで活躍した造形芸術上の流派、または美術家・工芸家らやその作品を指す名称です。

款記も印章もそなわらないにもかかわらず、この屏風が、俵屋宗達であることを疑う人はいません。

尾形光琳も、酒井抱一も、この風神雷神図を模擬しているのは、宗達の作品であると疑っていなかったか証明です。

この俵屋宗達の風神雷神図屏風の金箔の部分は装飾を越えて、無限の奥行をもつある濃密な空間を表現していて、無限の空間に現れた鬼神を表現しています。

しかも「間」は時間的な間隔を表現しているようです。
由来辞書を見ると、

間抜けとは、おろかで要領が悪いこと、また、そういう人をいう。「間」とは、物と物や音と音に挟まれた「抜けている」部分を意味し、「抜けているところ(間)」が「抜けて」いるとは、「抜けているところがさらに何かが抜けている」のか、「抜けているところがちゃんと抜けていない」のか、いまいちよくわからない言葉だが、要は「抜くべきところ(間)」の抜き方が悪くて、物と物や音と音の間隔がアンバランスになっていることをいうらしい。もっとも、語源についてあれこれ考えなくても、間抜けなやつというのはふたことみこと言葉をかわせばすぐ判別できる。

と、あります、

「間抜け」と「間を抜く」は違う

「抜けているところがさらに何かが抜けている」のか、「抜けているところがちゃんと抜けていない」のか、面白い表現ですが、「抜くべきところ(間)」の抜き方が悪いそうで、その意味で間の美しさを描いて世界的に高く評価されている作品。

抜くべきところを抜く。肩の力を抜く。良い意味で「なるようになる」と開きなおると抜くべき間ができます。
他者と比較して自分のダメさに注目し、自分を痛めつけるのは「間抜け」ですが、努力の不足に気づいて努力を怠らないのは美しい「間」なのです。

どんなことにも間があると思います。料理にもあれば、運動にもあります。恋愛にもあれば、暮らしにもあります。どんな間を描くのかは、何を証明したいのかと深く関わっているように思います。

長期休暇が取りにくい日本人にとって「ゴールデンウイーク」は日常生活における絶品の「間」かも知れません。

風神と雷神の間にある間を見ながら、いちばん大事な見えないものが見える思いがします。

風神雷神図 風神雷神図

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