昔、日本が貧乏だった頃、全国のお母さんは一生懸命働いていたように思います。
それぞれが仕事を選んでいた余裕はなかったのではないかと思います。
それができたのは、愛する者がいたからだと思います。
つまり愛する者のために働くことが好きだったとも言えます。
そんな言い方ができるのは、いまだからであって、当時は「生きるため」のひとことに尽きると思います。
でも、いまそういうふうに生きる人は少ないと思います。
刹那(せつな) 主義という言葉があります。
「刹那を大事にして生きなさい」とお釈迦様は言いました。
この刹那とは、今の一瞬一瞬のこと。この瞬間を大事にして生きなさいという意味です。
そうして生きることを刹那主義と言います。しかし現代ではこの意味がすっかり変わっています。
「今さえよければ後はどうなってもいいと思うこと」という意味だそうです。
今、目の前の人を抱きしめること、
その人に自分が持っている温かい心、優しい気持ち、思いやりに満ちた最大限の笑顔を向けること、
励まし、勇気づけ、どんなひどいことをされれも、心を和らげ安らぎを贈ること
それこそが、刹那であり、それを習慣化した生き方が「刹那主義」です。
全然違いますね。
本来の刹那主義は、昔のお母さんの姿に通じます。そこから生まれたのが「おふくろの味」です。
お母さんが作ったものなら「おふくろの味」になれるわけではないのです。
実際、使われる食材も様々な組み合わせがあります。
それは入手できるものが家庭によって違ったからですが、食材を超えた味付けがあります。
愛する者への想いこそが絶品なのです。
したがっておふくろの味に似た概念は世界各地に見ることができます。
ソウルフードや郷土料理がそのひとつでしょう。
絶品の「おふくろの味」に対して、乳離れしていない証しという人もいるようですが、単に「物」として扱っているようです。
「おふくろの味」とは在り方から生まれたものであって、献立のカテゴリーではないのです。
「おふくろの味」とは「おやじの味」にもなるし、「亭主の味」にもなります。
愛する者のためにいま、この瞬間を骨身を削って、命がけで生きればこそ、出る絶品の味なのです。
命がけとは、この瞬間に全力で臨むこと。チクタク、チクタク、命がけが続きます。
愛する者のためにこの瞬間に全力で生きるのが好きだから、無理が無理でなくなる生き方。絶品人の「刹那主義」です。
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