「もともとのいのち」を愉しむ食の作法「黙食」10の功徳

お粥さんプロジェクト
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こんにちは。人生200年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるNaoman-Minoruです。

コロナの元兇と見なされている飛沫感染は、「食」の在り方を再考させます。
気持ちの良い食べ方は感染も抑え込みます。禅僧にとって食事中の会話は日常的に禁物。

一般人なら話しても良いにしても、口の中に食べ物を詰め込んだ状態で話すのはマナー違反です。
携帯電話で話すのは論外でしょう。テレビを見ながらの食事も携帯で話しながらと同じレベルのマナー違反です。

生きるとは自分の身体で体験すること。現代人は成果を求めて様々なものを切り捨てる傾向にあります。「オブジェクトのない庭」「関係性よりモノを尊ぶ傾向」「心地よくないこと」「面倒くさい人」「ひとりの食事はつまらない」と日常から切り捨てたものが実は宝物だったのかも知れません。
ここでは200年時代をライフデザインするとき、取捨選択を間違えないように「黙食」について考えます。

食の作法はどこからきたのか

もともと日本人の食の作法は、仏教から伝わったものです。
支度することから、片付け、「ごちそうさま」まで、食に関するすべてに「いのち」との関係性が織り込まれています。

静かに食べることで深く味わうことを愉しめるので、食への感謝が生まれる道理があります。

テレビの食ルポでタレントが「おいしい!」と顔を歪めて絶叫するスタイルは世界中見渡してもあり得ない光景でしょう。

行為を通して身体になりきる

黙食は坐禅と同じ修行のひとつで、禅寺には三黙という決まりがあるそうです。トイレ(東司)と風呂(浴司)と食事です。水はいのちそのもの必要最小限に留めます、食は他のいのちをいただく行為、東司はいのちの循環です。

曹洞宗の修行道場では、言葉を発せずただ黙々と真摯に修行を行う3つの堂舎を三黙道場といいます。いのちにいちばん近い場所である三黙道場では、作法にかなった一挙手一投足、すべての動作で他者に畏敬の念を起させるような行動が求められます。

いのちに向き合う立ちふるまいを「威儀」と呼ぶようです。威儀に沿った動きは、自然と厳粛な雰囲気をかもし出します。袈裟の紐も威儀と呼ぶのは着衣で閉じた身体には隠せない、個人のいのちの向き合い方が表れるのでしょう。

食べることは、その人の本質、育ち、本能がさらけ出される行為です。三黙で「行為そのもの」に「なりきる」ことを通して「いのち」になりきります。
ただなりきれば良いのではなく、威儀に沿うことが「もともとのいのち(=こころ)」を全うすることなのでしょう。食べ残すなら食べるな
、あるいは雲水の「椀」を曹洞宗 では「応量器」と呼ぶのは食べる量に応じてオーダーメイドで用意した名残です。応量器は食べることを入口にして個人の器も測る道具だったようです。

「黙食」とは全身全霊で他のいのちをいただく「いのちとの向き合い方」です。
「黙食」は「いのちとの向き合い方」から導き出された最良と思われる「在り方」であり、「仏道」を極める、つまり「いのち」の磨き方、極め方なのです。

自分を極めるとは、自分を手放すことです。

身体とこころと環境は一体

いまは健康志向が強い時代ですが、普段から身体を忘れて、ジョギング、ジム通いはなんかヘンですよね。身体は「多くのいのち」とつながっていることを忘れて存在しないはずです。
本来、身体、心、環境の三つは繋がっています。

たとえばマインドフルネス瞑想(=坐禅)では、自分を手放しますが、つながる準備として、まず坐って身体を整えます。このとき、身体は坐り方を通して、すなわち足腰を使って環境(床下)からつながりをいただきます。足腰と床下が一体にならないと、正しい坐り方ができずに、マインドフルネス瞑想(=坐禅)は形ばかりのものになってしまい、手放すことができず、失敗します。

三つのつながりは私を手放すつながりであって、食の作法は「多くのいのち」になりきるゲートウェイなのです。

マインドフルネスと黙食

マインドフルネスは、目の前の問題から逃げる手段ではありません。
癒しでもリラクゼーションでもありません。集中力を養うものでもありません。

固定観念を取り除くことで、本質に近づくのです。
自由にすることで固定観念や価値観がどこからきているのかを観察して実験します。
囚われないことでなにが起こるのかという実験です。
言ってみれば、子どもが日常的に行っていることと同じなのです。
教育された子どもは言葉や論理で物事を捉えようとしますが、捉えた瞬間に本質を見失っています。

マインドフルネスは、この状況から抜け出して、本来の自分(=もともとのいのち)につながるアプローチのひとつです。食の作法もそのひとつです。

いま、ここ、この瞬間に感じることに集中するために、つまり言葉や論理で物事を捉えないために、沈黙を愉しみます。
沈黙は心を空にするものでも、コントロールするのでもなく、自由に観察してつながります。

お粥プロジェクト 10のワンダフル

禅食は応量器でいただくほど身近に感じます。
禅食の極め付けはお粥さんと精進料理です。
お粥さんなら手間もかからず一日二度は用意できるので、是非、毎日のルーティンにしましょう。

  1. 色(しき)・・・血色がよくなります
  2. 力(りき)・・・体力がつきます
  3. 寿(じゅ)・・・寿命がのびます
  4. 楽(らく)・・・体の負担を低減できます
  5. 詞清弁(ししょうべん)・・・弁舌が清くさわやかになります
  6. 宿食除(しゅくじきじょ)・・・胃もたれがしなくなります。
  7. 風除(ふうじょ)・・・風邪から防御できます。
  8. 飢消(きしょう)・・・空腹が癒されます。
  9. 褐消(かつしょう)・・・喉の渇きが低減できます。
  10. 大小便調適(ちょうてき)・・・腸の活動が改善できます。

以上、粥有十利(しゅうゆうじり)、お粥さんには、10の健康上のメリットがあります。

粥有十利(しゅうゆうじり)とは、お粥には十の功徳があるという意味です。
曹洞宗 の開祖、道元禅師が 『摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)』 という仏典から引用しました。
摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)とは、仏教の大衆部(摩訶僧祇部)に継承されてきたのこと。
律とは、十誦律、四分律、五分律と共に四大広律と呼ばれている僧の守るべき規則です。

お粥さんにこれだけの「メリット」があるのはワンダフルですね。

「もともとのいのち」を愉しむ

「もともとのいのち」にいちばん近い存在は子供たちです。
彼らは教科書から学ぶ前に地球から学んでいます。現代的な教育と引き換えに地球から学ぶことが薄れていき、コンピュータに依存するようになり、深い呼吸から遠のく暮らしを強いられます。

食をはじめとして、浅い呼吸から抜け出す、まだまだ地球を教科書にする手立ては残っています。
お粥プロジェクト、食の作法を愉しむことで、「もともとのいのち」に戻る体験を重ねましょう。

まとめ

食べることに自分の本質が表れます。
料理が質素であるなら、深く味わうのが智慧です。

黙食は静かな分、集中するしかないので、自然と”より深く味わう”ことになるのが道理です。
深く味わうほど食べる行為になりきるのも道理です。これぞ、縁起ですね。

行為になりきるほど、感謝を通して、たくさんのいのちとつながり、循環して戻ってきた感謝は、もともとのいのち(=こころ)とつながります。

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