こんにちは。人生200年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるNaoman-Minoruです。
人は誰でも、自分、自分、自分と私のことが気になります。
私を大切にしてもらえないと腹がたって怒ります。
でも私は、本当に自分のことを理解するのは簡単ではありませんよね。
ライフデザインの基礎となる私とコアバリューを整理します。
わたしを整理する
人は関係性のなかでエネルギーを得て生きています。
ライフデザインを設定するうえで大事したい考え方です。
Aがいて自分がいる
自分がいてAがいるのと違います。
同じことのようですが、そうではないのです。
自分がいてAがいる場合、自分がAに対して従属的にならざるを得ません。
Aがいて自分がいる場合、主体は自分です。
人は「縁起」によって生きているからです。
『随処主となれば立処皆真なり(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり)』という言葉があります。
臨済宗の祖である臨済義玄(りんざいぎげん)禅師のお言葉です。
いつ、どんな場合も、なにごとにも、自分が自分の思考、感情、感覚に使われず、自分が思考、感情、感覚を使いこなし、主体的、積極的に行動するなら・・・・という意味です。
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縁起について
縁起とは、縁があって生起します。
なので人は「生かされている」といいます。
「生かされている」という表現には受身的な匂いがしますが、決して主体性がないことではなく、縁があって、自分が思考、感情、感覚を使いこなし、主体的、積極的に行動するということです。
縁には良縁も悪縁もあります。
子供が生まれたのを縁に、自分が思考、感情、感覚を使いこなし、主体的、積極的に行動するなら、自分は子供によって生かされているといえるのではないでしょうか?
私たちは無限の真理のなかに生きています。
空とは無限の真理。
空が具体的に示せないもので自分で体感するしかありません。
空への入り口のひとつが縁起です。
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慈悲のこころ
人生200年、縁起200年、どう生きるかと真理に問いかけると慈悲が立ち上がってきます。
まとめ
ただそこに私はなく、関係性のなかに私はいます。
孤立を嫌い、私は関係性を結ぼうとします。
縁によって関係が生まれてことが起こります。
たとえば、生まれた子どものために頑張る私は、子どもの私なのです。
親は私の子どもと思いたくなりますが、私の子どもではなく子どもの私でしかないのです。
妻の私、子どもの私は従属的な存在でなく、
縁によって、自分が思考、感情、感覚を使いこなし、主体的、積極的に行動するからです。
縁がなければ自分はないので「縁によって生起する」を原点にライフデザインを設定します。
ライフデザインをどのように描くかは、個人個人に認識で随分違ってきますが、空とは無限の真理、縁起で繋がっています。縁起をどう生きるかと問いかけるとコアバリューとなる慈悲が立ち上がってきます。
真理は普遍です。コアバリューになる大きな柱です。知識ではなく体得することが私を知る方法です。▶︎詳しくは人生200年時代のマインドフルネス無礼講実践講座
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