自分を受容するとは、社会と自分を正常にシステム化する必須条件だと思います。
自分を受容できるようになると人づきあいが楽になります。他人の欠点が気にならなくなるからです。
自分を受容できるようになるとは、自分の醜さを受け入れられるようになるということだからです。
だから他人の欠点も気にならなくなります。
つまり他人に腹がたつ人は、自分に怒っているのです。自分を許せない、認められないからです。
この許せない、認められないという基準の判定はかなり難しいです。
たとえば親からの厳しすぎる要求を受け入れるとその理不尽な基準に苦しむことになります。
生涯ひきずることにもなりかねません。
どちらにしろ、自分を許せない、認められない人は、誇りのもてる行動を数多く実行することです。
人の行動は他人の評価に委ねることはできません。
なにをしたかは他人に見えても、なんのためにしたかは他人に分からないからです。
誇りのもてる行動は、なんのためにしたかでなければ、評価できません。
つまり自分にしかわからない。いや、自分にもわからない場合が多いのです。
だから行動には「自問自答」が必要です。行動中も続きます。
しかも自分を俯瞰できなければ「自問自答」の意味もありません。
それには日頃から「自分のあり方」を正すことが欠かせません。
そうしておかないと、俯瞰できないからです。
繰り返し繰り返し、あらゆる角度から自問自答します。この作業が揺るぎのない自分を作ります。
「ありのままの自分を受け入れたらいい」・・・結論はシンプルですが、そこはトンネルの出口です。
トンネルのなかは魑魅魍魎、闇の世界。
ありのままの自分を受け入れたらいいと言っても、誇りのもてない自分を受け入れることは困難です。
誇りのもてる「あり方」から自分に誇れる行動は生まれます。
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