マンダラチャートで、『ウェルビーイング(心地いい)な暮らしを達成したい』を大目標に設定した場合の小目標の事例です。
- 健康/活力資産
- 仕事/生産性資産
- 経済/ファイナンシャルプラン(金融資産)
- 家庭/パートナー資産
- 社会/マインドフルネス・ライフデザイン・ライフプラン
- 人格/ライフスキル・社会人基礎力
- 学び/変身資産・ライフシフト
- 趣味/ライフステージ
このマンダラチャートを仕上げるにはWHOの健康の定義「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」が条件になるので、日常的に健康を大目標にした「マンダラチャート」に意欲的に取り組みます。そのモチベーションがどこから来るのか。こころのあり方とこころのある場所について説明します。
「マンダラチャート」のモチベーションになる縁
『全地球カタログ』(ホース・アース・カタログ/Whole Earth Catalog)は、1968年に、スチュアート・ブランド/Stewart Brandによって創刊されたヒッピー向けのカタログ風の雑誌です。WECと略されます。
創刊号(1968、FALL)の表紙を飾ったのは、NASAが提供した宇宙に浮かぶ地球の写真でした。初代iPhoneの待受受けのロック画面に地球の画像が使用されたことを記憶されている方も多いでしょう。スティーブ・ジョブズ氏の言葉として有名な”Stay hungry, stay foolish”/ハングリーであれ、愚かであれ”は、1971年の廃刊号の裏表紙にプリントされたバックミンスター・フラー博士の言葉からの引用です。
”Stay hungry, stay foolish”は、バックミンスター・フラー博士の生き方そのものでした。その生涯を通して、人類の生存を持続可能なものとするための方法を探り、その発明とコンセプトはヒッピー文化のみならず現在の社会の大きな要素になっている<宇宙船地球号>はじめ様々な発明に結実、モントリオール万博に建造した球体型(ドーム型)はいまも世界で目にします。しかし、その業績は然るべき評価を受けたとは言い難く、ほとんどは実用化されず、また関わったほとんどの分野(建築など)では厳しい批評に晒されるか、ユートピア主義者とされ無視されました。しかしその悔しさを受け継いだのがスティーブ・ジョブズ氏でした。
ジョブズ氏がコンピュータと遭遇した縁も「ホース・アース・カタログ」によるものでした。廃刊記念イベントの縁で四年後に始まった『コンピュータクラブ』に大学を中退したスティーブ・ジョブズ氏は友人スティーブ・ウォズニアック氏と参加、知識を得てアップルを共同で起業します。
ヒッピー文化に憧れていたジョブス氏はWECの熱心な購読者であり、WECを介して知ったフラー博士の生き方に共鳴したジョブス氏はさらに身体感覚を大切にする禅の教えに学びシンプルで豊かな日本文化に触れ、いのちつきるまでこころの指針にしたのです。
ジョブズ氏とアップル社の二人三脚で繰り広げたコマンド入力しない身体感覚のコンピュータ、かたつむりが宇宙船地球号になって空を飛ぶ歴史の痛快は、WECの縁起による生起です。
”Stay hungry, stay foolish”は、無明に射した光だったのです。人間はひとつの縁でどこまでも遠くに行ける証です。
「マンダラチャート」のモチベーションになる縁は、まだ無明なこころにあり、意思があれば十二縁起を回り続けて刹那減を繰り返し無明に光が射す時を迎えるのです。
ホース・アース・カタログ(WEC)の基準
『ホース・アース・カタログ』は、”最小のもので最大を成す” というバックミンスター・フラーが提唱した思想(ダイマクション )から生まれたものだったのです。
ダイマクションとは一種のブランド名で、ダイマクションには次のようなものがあります。
WECの表紙の地球は、宇宙船地球号であり、宇宙船地球号から見た地球だったのです。” 環境と調和した新たな生き方 ” に役立ち、それでいてクールな道具でした。ヒントになるのが住むための機械ではなく日常生活を営むための機械という考え方です。ヒッピー・コミューンを支えるための情報や商品がカタログのように掲載されていたのです。
スティーブ・ジョブズ氏は生前「アップルがただのテクノロジー企業だったことは一度もない」と断言していた背景には求めて止まない<こころ>があるからです。アップルの製品は現在も『ホース・アース・カタログ』に掲載される基準をクリアしており、フラー博士のダイマクションの条件も満たしています。その背景には宇宙船地球号があり、ヒッピー文化と精神、ハッカー文化と精神が息ずいています。
『ホース・アース・カタログ』に掲載される商品は、基準があり、<宇宙船地球号>を思想したフラー博士のコンセプトを反映したものです。
- 道具として有益なもの
- 自立の教育に適切なもの(*特に重要)
- 上質か低価格なもの
- 郵便で入手可能なもの
たとえば「有益の基準」とは地球との関わり方をもっとシンプルで豊かにするものだったり、世の中に溢れているほとんどが依存を強めるばかりなのに対して、逆に身体の一部として使う<自立>を強いてくるユニークな商品です。それもそのはず、ページを開くと<宇宙船地球号>を提唱したバックミンスター・フラーの写真とともに次のような言葉が掲載されていました。
高校生だった大谷翔平さんがマンダラチャートを書いたのと同じように、フラー博士の地球で暮らす愛は当時高校生だったスティーブ・ジョブズ氏の<こころ>に種子として根付き、種子の養分を基に発芽、自宅のガレージでアップルを起業しヒッピー魂の花を咲かせます。ところがご存知のようにジョブズ氏は、自分が創業した会社を9年後には追放されます。IBMを嫌うコマンド入力を使わないヒッピーの道具として身体感覚で使えるパソコンの溝を埋めることはできなかったのです。
その後アップルは低迷期が続き10年後、ジョブズ氏が新たに作った会社NeXTを買収することでカムバック。斬新な身体感覚で使える製品を相次いで投入、起死回生の崖っ淵から救い、さらに大輪の花を咲かせます。
諸行無常。人類の生存を持続可能なものとしてコンピュータを精神の自転車だと考えるジョブズ氏を支え続けたのが<宇宙船地球号>であり、WECでした。ジョブズ氏は自分の想いとして”Stay hungry, stay foolish”/ハングリーであれ、愚直であれ”をスタンフォード大の卒業生に贈る言葉として使うまでに至ったのです。
フラー博士の思想をモチベーションにしたジョブズ
カウンターカルチャーである時間は短いものです。種子を蒔いたら風のように去り、静かに育つのを待つだけだ。病に冒されいのちに限りあることを知ったジョブズ氏は、本社ビルを<宇宙船地球号>にすることで、ピリオドを打ったのです。最後のプロジェクトの完成を見ることはありませんでしたが、生涯カウンターカルチャーを貫いて、最後までやりたいことを具現化して世界を変えたことで、フラー博士と自身へ愛をギフトしたのです。
WECの創始者スチュアート・ブランドは「すべてはヒッピーのおかげ」というエッセイで「カウンターカルチャーが中央の権威に対して持つ軽蔑が、リーダーのいないインターネットばかりか、すべてのパーソナル・コンピューター革命の哲学的基礎となった」と書いています。活気のあるカウンターカルチャー文化と精神が、太古から続く<いのち>に似て、時代に逆行するように「よりゆっくりに、よりよく」脈々と息ずいています。
「マンダラチャート」のモチベーションになる縁は、まだ無明なこころにあり、真摯な意思があれば十二縁起を回り続けて刹那減を繰り返し無明に光が射す時を迎えるのです。ジョブズ氏とアップル社は二人三脚で歴史を紡ぎ、かたつむりが宇宙船地球号になって空を飛んだ痛快は、WECの縁起による生起です。
”Stay hungry, stay foolish”は、無明に射した光だったのです。人間はひとつの縁でどこまでも遠くに行ける証です。自分の時間の単位を目的地から逆算しましょう!ミニマリストのすすめです。
面白くてクールだから、こころが躍動する
マンダラチャートに書き込んでも達成したい心地よさとは、「そうあればいいな」ではなく、自分を再教育してでも到達したいのは共鳴した<こころ>が躍動して、創造的になれるのは面白くてクールだからです。もっと、もっと、と、いろんなものを手元に集めることではなく、豊かさとはそういうことではないでしょうか?つまり求めているのは愛。ブッダが<こころ>のある場所を探して、遺言のように弟子に言い残した<自灯明・法灯明><八正道>もそれがクールで豊か、面白いのはヒトへの愛があるからです。そこに大宇宙がある。
ウェルビーイングなヒトの特長
マンダラチャートで、『ウェルビーイング(心地いい)な暮らしを達成したい』を大目標に設定した場合の小目標で、自然のままでいて、誰からも愛される人柄(人格)は必須です。ヒトはみんな相互依存の感関係で暮らしているからです。ところが現実には他者依存の関係になってしまうヒトがいます。彼らはウェルビーイングなヒトとどこが違うのでしょう。
ウェルビーイングなヒトには、毎年、国連に世界幸福度ランキングの調査結果を報告しているギャロップ社が取り上げた要因のひとつ、ソーシャルウェルビーイングが役に立ちます。
- 家族、同僚、恋人などとどれだけ深い信頼関係が築けている。(一人一宇宙の認識)
- その関係性の在り方に満足している(一人一宇宙の肯定)
- 社会に貢献している感覚が持てている(大宇宙への希求)
人生で強力な人間関係や親しい友人を持つことが幸せにつながるというのが、ソーシャル ウェルビーイング/大宇宙の形成です。・・・
強い信頼と愛情でつながっていて、良好な人間関係を持ち、人間関係において幸福であること。ここでのソーシャルは、人間同士のつながりをさします。つながりを築けているか、またその関係性の在り方に満足しているかが問われます。
職場や自宅でのコミュニケーション、電話、友人との会話、電子メールなどの社交的な行動を1日1時間でもすると、幸福を感じてストレスが減ることが分かっています。最大6時間までで、時間が多いほど効果があります。
献血をした後に良い気分になったというのもソーシャルウェルビーイングの一例です。ある組織に貢献したり参加したり実践すると深い幸福が得られます。また、このような社会と繋がった行動を通じて自分の能力に真の自信が持てるようになります。
ソーシャルウェルビーイングは、助けない風土が高まっている我が国では、二極化が進む要因になっています。助ける力を養いましょう。
- 健康も幸せも福祉もすべてを包み込む概念
- 「やってみよう」「ありがとう」「なんとかなる」「ありのままに」
- 家族、同僚、恋人などとどれだけ深い信頼関係が築けている
- その関係性の在り方を大切にして満足している
- ネガティブを考え方でポジティブにチェンジする
- なんでもない実用的なことを価値観を使って特別なものに変えるスキルがある
- 孤独でも良き仲間たちといい時間を過ごすことができる
- 自分の時間の単位を持っているが、他者に強要せず、他者の担任と調整できる
- いつも「なにか」とつながっている感覚を大事にしている
- 相手に依存せずに、私もあなたも肯定できる
- いまを生きている実感とヒトとのつながり、シンプルであること
- 外的・内的問わず外的につながっている寛容さを大事にしている
- ミニマリストで、家の中でくつろぐ楽しみを最大化している
<こころ>はどこにあるのか
スティーブ・ジョブズ氏は、ヒッピーだったわけではない。シンプルで美しく永続的、それを成し遂げるためにどんな複雑な手間も惜しまない<あり方>。ヒッピーが、WECが、ジョブズ氏の文化に似ていたのだ。ジョブズ氏がひとつの文化であるように、ヒトが一人ひとり文化であるような「私」に、たとえば「ウェルビーイングな私」になるには、どうすれば良いのでしょう。ウェルビーイング、心地よくなるためのプロセスを愛さずにはいられない私になるのが先です。それが面白くてクールだからこころが躍動してやめられない。
ヒトには①単純意識、②自己意識、さらにその上の③宇宙意識があります。犬や猫が毛づくろいするように、自分の身体と認識しているだけでなく、自分の事柄だと感知できるのは単純意識が認知できている証です。
人間が他の動物たちと違うのは「概念」をもてたことであり、人間の知性の発達は概念の発達です。たとえば愛や国家など抽象観念、概念は物、行為、関係性を表すイメージですが、いくつも要素が絡んでいるので複雑です。豊かな知性とはそのひとつから概念の数が平均以上であり、優れた知性とは、その中の概念が明晰であり、よく定義されていることです。
単純な概念が増えるのと同時にこれらが積み重なって、より一層複雑になります。数と複雑さの増大は混迷を深めますが、奇知ある知性は概念が望むときに素早く取り出せます。つまり整理整頓されていて日常的にみているので、よく手入れされた部屋のように清掃・清潔な状態が行き届いているのです。言葉は雑巾のように概念を磨き上げる役目を担っています。知性の進化に言葉の進化は欠かせないのです。言葉で全てを説明することはできないまでも、言葉を持ったことが「単純意識」に留まらず自己意識を持たせたのです。
で、あるなら自己マスタリーの超絶高いブッダやキリストはどうでしょう?自己意識を突破して宇宙意識を身につけていたとしても不思議ではありません。高いレベルの習熟を獲得しょうと自己マスタリーをめざすのは、本当に肝心な事柄は何かを知ることからはじまります。宇宙意識を身につけるヒントが見えてきた気がしませんか。
みずからの人生をかけた学習に<こころ>から取り組むことによって可能となります。自己マスタリーとは、個人の視野をつねに明瞭にし、深めていくことを意味します。エネルギーを集中し、忍耐力を養い、現実を客観的にとらえるのです。マンダラチャートを実現するとはそういうことであり、宇宙意識を身につける面白さで臨むとしあわせな気分になります。
ユニコーン(一角獣)とも呼ばれる大谷翔平さんはよく寝ると評判ですが二刀流でさらなる高みをめざすには本当に肝心な事柄に専念していることが伺えます。
瑜伽行唯識学派
ヨーガのルーツである『瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)』は、ヨーガの実践に唯識の体験を得ることを教義にしました。『唯識派』は、インド大乗仏教史上、<空(くう)>を説く『中観派』とともに二大思潮を形成しましたが、6〜7世紀頃から中観派との間によく論争が行われるようになる一方で、教学上の統合の動きもあり、後にはインド一般には「唯識派」と呼ばれます。
唯識派の特徴は<八識>にあり、感覚器官から入る①眼識② 耳識③鼻識④舌識⑤身識の前五識と⑥意識さらに潜在意識にある⑦末那識(まなしき)⑧阿頼耶識(あらやしき)の計8つに顕在意識、潜在意識を整理、電気信号にして脳に伝える気づきの仕組みである「八識」こそヒトの実体であると説いた点です。
刹那減
現代の脳科学に於いては、感覚器官から入った無意識の気づきは脳の辺縁系で大量に起こり、大脳の新皮質に伝わると意識になる脳のメカニズムが発見されていますが、結局、ブッダ(釈迦)及び瑜伽派の教義に到達するので、脳科学者、心理学者に驚きを与えています。
もっとも脳科学者に衝撃的なのは、ブッダが『形のない心がどこにあるのか』を解明し心の働きのプロセスを<十二縁起>にまとめていたことです。
仏教界は<十二縁起>の終わりに「死」を持ってきていますが、脳科学では「死」ではなく「無明」に戻る空白の期間「刹那減」と考えます。立山信仰も十一で終わっていて「死」がありません。
インド哲学では、われわれの存在は刹那毎に生滅をくりかえす心の連続(心相続)であると説いています。
脳科学は「無明」に戻るが、意思があれば「無明」は一巡目より、二巡目、三巡目と進化すると解きます。脳に意思の種子が育つ領域を創るのです。
ブッダの教えは<十二縁起>のプロセスのどの瞬間においても<諸行無常>と諦めず丁寧に過ごしなさいと説かれたのであり、マンダラチャートは教えそのものなのです。
十二支縁起(十二縁起)
菩提樹の下で「人間は、常に変化する環境の中で、よりよく生きようとして、たえず未来を見通しながら、たえず適切な行動をとり続けようとする動物である。」ブッダが『諸行無常』と説いたのは、環境に適応しようとする脳の働き、すなわち単純意識に留まらず自己意識へ脱皮したい絶え間の無い活動を見出したからではないか。
大域的アトラクター
大脳皮質の働き、辺縁系の働きがひとつになったものが大域的アトラクター(attractor)。アトラクターとは、ある状態を安定的に留めておく領域のことで脳には様々なアトラクターがある。大脳皮質の中に蓄えられていた経験・知識・性格などを織り込んでひとつになったもの。
『喩伽行唯識派』では、これを深層心にある<阿頼耶識(あらやしき)>と呼んだのでしょう。
無明もカオスも必要だ。同じように意思も必要。
こころのプロセス
気づきは、秩序、無秩序、渾然一体とした状態で起こり、生成と消滅を繰り返し、自然に秩序化して「ある方向」へ向かい、気づきの連鎖が意識になります。そのことから想像できるのは、強い引力がある源になる気づきの拠点づくり(=大域的アトラクター)を自分で脳に作れる可能性です。
たとえばヒトによって勉強癖がついた学ぶ気づきが強いヒトと、なまくら癖が強いヒトがいます。一般的に考えれば勉強癖がついていて学ぶ気づきが強いヒトの方が生産性が高くなります。人生100年時代、かってはあった職業がいまはないというような世の変遷に合せてライフシフト(転職)は必須ですが、学ぶ力が強いと希望するライフシフトも容易になります。
深層心にある<阿頼耶識>はすべてを記憶している蔵だといわれていますが、自己執着心の蔵である<末那識(まなしき)>と結びつくとネガティブな種子を育んでしまい人生を台無しにする危険性が高まります。
無意識の人生脚本は<末那識(まなしき)>が出発点になっています。末那識の原点は、十二縁起の「愛」です。愛に絡め取られるのです。無意識なので手の施しようがありませんが、意思の力で<刹那減(死)>に向かい、次の<無明>に突き進むのです。<末那識>とせずに、<阿頼耶識>からポジティブな種子を取り出し育み、良い縁起を創造するのが、マンダラチャートです。
刹那減
さて、十二縁起は、無明(むみょう)・行(ぎょう)・識・名色(みょうしき)・六処(六入)・触(そく)・受・愛・取・有・生・老死の12をいいますが、無明(混沌)の中から志向性が生まれ、気づきにになることで、気づきの対象が「名色」に分かれる。
それから「六処」すなわち前五識と意識の感覚器官が働いて「触」が起こる。
「触」によって知覚作用が発生したあと、「受」という知覚の発生に対する情動的な反応が起こり、快苦で良い悪いの判断をし、快を自分のものにしたいと愛を求めるが、良い惡いの判断と同じく愛も憎悪と対になっていて愛憎という情動の一番強い形に出会います。
情動反応が習慣化して、そのレベルで生活をしていると動物の状態に留まる。その状態が「取」すなわち執着の状態であり、「取」までの状態はすべての有情に共通する心のプロセスであるとブッダは説かれた。
そこからが問題で、「有」とは、動物的な存在でしかない我々が、さまざまな抽象的な考え。たとえば愛、国、欲望、煩悩など抽象観念というものを瞑想を経て抽象的な観念、表象を生み出すようになった。その発達をブッダは強調したいのである。ブッダが瞑想修行によって最初に覚ったことなのだろう。
生まれ死に無明に至るのは、大域的アトラクターの下で、渦捲いていることに他ならない。
条件が変われば全部一回崩壊することをブッダは瞑想によって捉えていた。それが「刹那減」です。
あらゆるものは、無数の基本的要素が縁起によって因果関係を結び、存在を構成する。その存在は一瞬のことで、瞬間的に生起して消滅する。そして次の瞬間に同じ構成要素によって新たな因果関係が結ばれて、また生起し消滅する。それが連続すると考えるのである。
われわれには持続して存在していると見えるものは、このような瞬間、瞬間の存在が連続して積み重なったものでしかない。この考え方を、刹那滅といいます。
基本的要素の構成が変化すれば、存在するものも刹那ごとに変化する。すべてのものが永久に変わらないものはないという諸行無常、諸法無我の根拠となるロジックです。
「刹那減」という、まだ言葉がなかったこともあり、ブッダは「生死」で表現した。生には生まれるという意味もあれば物事が生じるという2つの意味があり、「死」にも死ぬことだけでなく物事が消滅する意味もあります。
生じたものは滅する。それがヒトの苦しみの根源である「プロセスの存在論」つまり存在するものは、常に変化し、変化こそが存在するという考えですが、ブッダは「六道輪廻」に行くのではなく、生が循環的に継続すると考え、苦は生きている間に、プロセス、どの瞬間にも滅するものだと考えられた。つまり瞬間こそ永遠。
「生死」とは思考の回転であり、循環的回転を「生死」と表現され、無明で一旦、頭の中が空白になるプロセスを迎えるが、「無明」の中からふたたび新たな「五蘊(ごうん)」つまり、人間を成り立たせている五つの要素である色(しき)(=肉体)・受(=感覚)・想(=想像)・行(ぎょう)(=心の作用)・識(=意識)が生起してくるとされたのです。
まとめ
脳科学は「無明」に戻るが、意思があれば「無明」は一巡目より、二巡目、三巡目と進化すると解きます。脳に意思の種子が育つ領域を創るのです。無明は生と死のあとにやってくるので挫折を嫌う人は避けようとします。しかし意思は物ともせずに乗り越えます。マンダラチャートは中央(大目標)こそあなた自身であり意思こそあなたそのものであると説きます。
ゲンキポリタン大学
「社会人基礎力」(全6回)
- 人生100年時代社会人基礎力3つの能力
- 社会人基礎力①12のの能力要素
- 社会人基礎力②前に出る力を育てる主体性と8つの基準
- 社会人基礎力③考え抜く力を育てる思考法
- 社会人基礎力④チームで働く力
- 社会人基礎力に追加された3つの視点
コラム
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- 自我と交流分析
- 自他肯定をライフスタイルにする『お粥さんプロジェクト』
- 人生の方程式から外れない<イマジン>3つの自我の使い方
- メンタルモデルを変える5つの心とエゴグラム
- 般若のゴエス|自分を忘れるアサーティブ・コミュニケーション
- 般若のゴエス|アサーション・コミュニケーション|率直について
- ロジカルシンキング
- ラテラルシンキング
- システム思考
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