この世の君も、あの世の君も

コミュニケーション
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水木しげるさんは、この世、あの世に分けていますが、一般には顕在意識、潜在意識に分けて分けています。考えてみると潜在意識といっても形があるわけでないので、もしかしから、あの世かも知れません。人はあの世とこの世を自在に往来しているのかも知れません。

自分の意識とは、反対のことをしてしまうことってあるでしょう。

もしかしたら人は、ゴミを捨てるかのように、古い記憶をあの世に送っているのかも知れません。処分されなかった古い記憶が、この世に情報を送り込んで、時に金縛りにあったように、身動きさせないいたずらをしているかも知れません。

あるいは守護神、背後霊になって、守っていてくれているかも知れません。

霊が存在していることは、自分も体験しています。

誰にも知らせずにいた旅先のホテルに、電話がかかってきて、ホテルの人が取り次いでくれたのですが、電話に出ると誰も出ません。帰宅してわかったのですが、ちょうどその時間に親友がなくなっていたのです。

私たちは言葉で考えますが、言葉で語れないことを「感じて」生きています。言葉で説明できないことは、隅っこに追いやられがちですが、実は大事なことは「感じる」ほうが多いように思います。

コミュニケーションは、言葉3:言葉以外7という説があります。
さらに特別に気の置けない間柄でお互いの性格もわかっていたら、言葉はもっと少なくても通じ合っているように思います。

もっと深い関係なら、お互いの潜在意識とコミュニケーションできても不思議ではありません。

深い愛があれば、この世のあなたと、あの世のあなた。その両方を愛すことも可能だと思います。

守護神を守ってやることも可能であれば、逆に地獄の使者を追放することも可能だと思います。

その確かさ、強さというのは、やっぱり意識の強さだと思います。

なにがなんでもというより、それを超越したもの。できて当たり前という思い込みのようなものだと思います。

なにがなんでもというのは、強いようでも、実は「できない」弱さの裏返し。思うほどできないを強めてしまう。

できて当たり前は自然体。もう解決済みの状態。

自分とのコミュニケーションも、他者とのコミュニケーションでも同じだと思います。

「この世の君も、あの世の君も全部愛しているよ」って、気負いもなく、平然と言える自分です。

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