随処作主立処皆真|アサーション・アサーティブの歴史

アサーティブ
アサーション・アサーティブ
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アメリカで誕生した<アサーティブネス(Assertiveness)もしくはアサーション(Assertion)は、自他を尊重した自己表現、意見表明もしくは自己主張のことです。

禅語に「随処作主 立処皆真」と言う言葉があります。「随処に主と作れば立処皆真なり(ずいしょにしゅとなればりっしょみなしんなり)」と読みます。

臨済宗の開祖、臨済禅師が弟子たちに語った禅語で、「あなたがどこにいても周りに振り回されずに自分自身のという純粋な心を忘れることなく、精一杯の行動をすれば、どんな環境にいようとも人生の真理、生きる意味が見つかるでしょう」という意味です。つまりアサーションに通じます。

アサーティブの歴史

アサーションの歴史は古いものの、心理学、カウンセリングなど狭い範囲で活用されるに留まっていました。1960年代になると公民権運動にはじまった人種差別の問題に続いて、1970年代のアメリカで起こった人権運動によって表舞台に登場したことが認知されるきっかけになりました。 人種・性別・民族等の差別を撤廃し、誰もが等しく人権を保障されたことによって,これまで抑圧されていた人たちが自己主張の機会を得て、政治に参加したり、 求職活動を行ったりするようになったのです。

アメリカでは、1876年から1964年にかけて<ジム・クロウ法>が存在していました。
<ジム・クロウ法>とは、人種差別的内容を含むアメリカ合衆国南部諸州の州法の総称です。<ジム・クロウ法>によって、1896年当時、白人の乗っているバスに黒人は乗れないようになっていました。

アメリカ最高裁が下した「分離すれども平等」という考え方は、人種差別待遇は憲法に違反しないという判決でした。「分離すれども平等」とは、白人と黒人を分離して暮らす体裁をとっても、差別していることにあたらないという解釈です。もちろんまやかしです。この判決によって白人と黒人が同じ場所に住むことはできず、バスに乗ったり、学校へ行ったり、レストランで食事したりすることができなかったのです。トイレなども明確に区別されていたのです。

1954年には「ブラウン裁判」が行われました。
「ブラウン裁判」とはカンザス州に住む黒人ブラウンは自分の娘を近所の小学校に入れたいと願ったが、白人学校という理由で拒否されたことで、教育委員会を相手どって起こした裁判です。

実際には黒人組織NAACPが白人社会に叩き付けた闘争といえるこの裁判は、最高裁に持ち込まれます。全米が固唾を飲んで注目した判決の行方は、事実上まやかしであった「分離すれども平等」の判決を覆して「分離教育は違憲である」という歴史的な結果となります。

しかしこの判決に不満をもつ白人感情は激しい闘争にエスカレートします。KKKの黒人リンチ事件が相次いで発生するようになり、陽気なアメリカ人の暗い影の部分が浮き彫りになります。


1955 年12月、後に公民権運動の母と呼ばれたローザ・パークスという女性が、アラバマ州モンゴメリーの市バス内で席を移るよう求めた白人男性に敢然と拒否、バス運転手の通報で駆け付けた警官に逮捕され、収監されました。
「もう我慢しない」と決めたローザ・パークスの事件をきっかけに、当時ほとんど無名だった故キング牧師を中心にして長期間の抗議行動に発展します。

ーーーーーーーーーーーーーーー<ジム・クロウ法>ーーーーーーーーーーーーーーーー
1954   ブラウン裁判
1954   エルヴィス・プレスリー テネシー州メンフィスでデビュー。地方巡業開始。
1955   エメット・ルイス・ティル虐殺事件(黒人少年が虐殺されるも白人は無罪)
1955   ローザ・パークス(モントゴメリー市バス)事件勃発
1956   エルヴィス・プレスリー、RCAから全米デビュー。
*黒人音楽であるゴスペルやR&Bとカントリーを融合したR&Rが全米を席巻。
1956   ローザ・パークス事件を受けて、黒人によるバス・ボイコット運動
1957   リトルロック高校事件*白人・黒人の分離教育は違憲とされていたにも 拘らず入学拒否
1958年  米連邦最高裁が黒人差別は憲法違反とする判断
*この判決によって一層、白人社会への黒人の対抗が強くなります。
1963   ワシントン20万人大行進
1963   ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件
1964   公民権法制定
ーーーーーーーーーーーーーーー<ジム・クロウ法>終わるーーーーーーーーーーーーーーーー
1965   マルコムX暗殺事件
1965     カリフォルニア州 ワッツ市(現ロサンゼルス市に吸収)暴動事件
1968   キング牧師暗殺事件
1968   ロバート・ケネディ連邦上院議員暗殺事件

一方、1954年。大衆文化の世界で異変が起こります。人種差別は憲法違反とした1958年には若者を熱狂させました。

その原動力になったのがエルヴィス・プレスリーの登場でした。
白人でありながら黒人のように歌う彼のパフォーマンスは文化を変えるに十分な威力があり、また当時、男尊女卑の傾向があり、抑圧されていた女性を解放する動きになりました。
ヒットチャートはエルヴィス・プレスリーの音楽が独占。所属するレコード会社は自社工場では生産をまかなえず他社の工場を借りなければならないほど売れたのです。

生まれたての「ティーンエージャー」という概念が熱烈な支持を表明する一方で、エルヴィス・プレスリー が歌ったクリスマスレコードをオンエアしたDJが解雇されたり、レコードが焼き尽くされたり、コンサート会場の貸し出し禁止などが相次いで起りました。米連邦最高裁が黒人差別は憲法違反と判断しても、大人たちは人種差別の壁を乗り越えることに悪夢を見ているような感覚があり、批判的だったのです。
しかし既成の価値観がどう拒もうが、世の中は、若者がエルヴィスを求めたように、従来の価値観から変わりはじめていました。結局、エルヴィス・プレスリー は徴兵され、陸軍に入隊。フォロワーだったロックンロールミュージシャンは、事故、死亡、微罪で収監されブームは急速に萎みます。

そして、1963年8月28日、ワシントンでは、マーティン・ルーサー・キング牧師が、「私には夢がある」と訴え、全米の黒人の心をひとつに束ね、20万人のデモ行進を展開します。

その公民権運動での抗議は、大きなうねりとなり黒人暴動という形で全米に広がっていきました。

米ソ冷戦、ベトナム、国内外に問題を抱えたまま、3ヶ月後にフロンティアスピリットを訴えたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件が発生します。

さらに2年後の65年にハーレムでマルコムX暗殺、1968年、さらにキング牧師、ロバート・ケネディ連邦上院議員も暗殺されます。60年代初頭から続いていた北アイルランド公民権運動が1968年には激しさを増し、人は平等であるとする精神は全世界に広がっていったのです。

人は誰でも自分らしく生きる権利があるとするアサーティブの考えと行動は、黒人差別に対抗したこの公民権運動にはじまり、やがて女性差別に対抗した1970年代の女性解放運動に引き継がれました。

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか|誰もひとりでは立てない所
蝉は夏の短い間だけ、泣きまくって死んでいきます。あとのことなんか考えず、一生懸命泣いて泣いて死んでいきます。エルヴィス・プレスリーも歌いまくって歌うのに疲れて、去って行きました。蝉と同じように季節外れに蝉を懐かしむヒトがいるように、未だにエルヴィスを懐かしむヒトがたくさんいます。

『般若のゴエス』でアサーティブ・コミュニケーション

般若のゴエスは、コミュニケーションスキルをゴエス(整理・整頓・清掃・清潔・習慣化)します。
①整理:自他肯定になるために、愛着への執着が妨害しているので、愛着の問題を整理します。
②整頓:自他肯定のライフスタイルを身につけるために、自他肯定の実践を支援します。
③清掃:自他肯定のライフスタイルを身につけるために、人生脚本に気づき書き直しを支援します。
④清潔:人生脚本、ライフプランの実践のために、アサーティブ・コミュニケーションを支援。
⑤習慣:呼吸・睡眠を整え、毎日の暮らしを整え、活力資産を育み生産性・変身資産を育みます。

黒人も白人と同じ権利を持っていいのではないかという主張は、白人を否定するものではなく、互いを肯定的に受け入れる主張です。男女平等も同じです。「私はOK、あなたもOK(自他肯定)」のライフスタイルは、自身のライフステージをより良くし、自利利他を現実にします。
黒人あるいは女性が白人や男性より劣っていると決めつけ、能力の値引きを行い、不安にさせ、依存させる仕組みからは自利利他は生まれることはなく、自分の限界を自ら制限することになります。

「お前は自立できない」というメッセージとさせないルール=つまり搾取の仕組みを拒否するのは、ある意味、とっても勇気のいることです。しかし、デメリットしかないと認識したら、バカバカしいので、「私はOK、あなたはNO(自己肯定・他者否定)」をスタイルを捨て、アサーティブ・コミュニケーションに向かいます。気づきが早く起こることに期待するでしょう。

気づきの阻害要因になっているのが幼いときから沁み込んでいる愛着への執着です。愛着への執着が解決しないので「私はOK、あなたはNO(自己肯定・他者否定)」が「ライフスタイルになっていますが、見せかけにすぎず、実際は「私はNO(自己否定)」なのです。「私はNO(自己否定)」であることを知られたくないので、「私はOK、あなたはNO(自己肯定・他者否定)」の仮面を被っているのです。

誰にとっても人生の主人公は自分のはず。一番大事なのは自分です。
だから同じように周りの人も自分が大事なのです。
見知らぬだれかにとって、あなたは、その他大勢でしかなくても、本当は誰だってその他大勢で片付けられる存在ではない。

人間関係の問題は、周りの人との関係で起こるから、両者が傷つかないようにしたい。
それがWIN_WINつまり両方とも勝者というわけです。

どうすればWIN_WINになれるのか、その基本になるのがライフスキルに影響力のある積極的自己表現。つまりアサーティブネス(assertiveness)、アサーション(assertion)アサーティブ(assertive)です。

相手を尊重しつつ自己主張することという意味で、日本においてはアサーションとほぼ同じ意味で使われていますが、アサーションという言葉のほうがやや検索しやすくなっています。
ただし、アサーティブ 看護という検索はアサーション 介護よりも格段に多く検索できるようです。

看護の場では治療方針、患者の主張を円滑化するために学ぶことがあります。ほぼ同じ意味の言葉として使われていることから、アサーションとアサーティブを同一組織で別の概念としてトレーニングするということはありえません。アサーティブ、アサーションは、看護という職場のコミュニケーションスタイルとして身につくことはありますが、結局、自分を抑圧するだけに留まって早晩ストレスまみれになってしまいます。


本質的に身につけるには、自他肯定のレベルで改善するのがいちばんです。そうでないと人生脚本の書き直しにまで進まないからです。

「アサーション」と「アサーティブ」の違い

アサーション」と「アサーティブ」の違いを、解説します。

アサーティブネス(assertiveness)は、自分を率直に表現しあう関係です。

WIN-WINというように、ビジネス上の問題は、他者との関係で起こります。

アサーション(assertion)は、自己主張ですが、誤解を招くことのないようにするために、自分を率直に表現するということとしたほうがいいでしょう。

アサーティブ(assertive)は、アサーションの形容詞です。

「アサーション」と「アサーティブ」はともに相手を尊重しつつ自己主張するという意味の言葉です。
ビジネスの場や看護の場でも取り入れられています。

同じ意味なのでアサーションとアサーティブを並行して学ぶということはありません。

日本において意味自体はほぼ同じなので、企業ではアサーションと言う言葉がより多く使われています。
技法なども数多く紹介されており、多数の書籍が発行されています。