アサーティブネスもしくはアサーション(Assertiveness、assertion)自己表現・意見表明は、自他を尊重した自己表現もしくは自己主張する意味の言葉で、相手を尊重しつつも対等な立場に立ち自分の意志や要求を表現する権利が誰にでもあることに基づいたコミュニケーション態度のことで、日常生活はもちろんライフシフトに欠かせないスキルです。
アサーティブコミュニケーションには、自他肯定が基本のPAC交流が土台にあります。
PAC交流をさらに高みに押し上げるアサーティブコミュニケーションには支えとなる「4つの大きな柱」があります、
アサーティブ4本柱/率直
アサーティブは、 率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任の4つの大きな柱からなる仕組みで成り立っています。 モチベーションを高めるうえで基礎といえます。
では、率直であるとは、どういうことでしょうか。
率直さを理解するキーワードは「自分も相手も大切にする」ことです。
状況で、ここからぶれると分っているはずのアサーティブが分らなくなります。
「自分も相手も大切にする」とは、理念としてそうですが、実際の現場では、 自分の感情よりも相手の感情も大切にする」 と考えたほうがいいでしょう。
対等ではないというように矛盾を感じるかも知れませんが、対等を実現するために「自分の感情よりも相手の感情も大切にする」 のです。
正確には 「自分の感情よりも相手の感情も大切にして、そのために自分がどんな行動をとればいいのか、その最適を見いだし行動する」ことです。
やっぱり、自分を下において相手を立てていると思うかも知れません。しかし、そうではありません。
たとえば、自分がイヤな思いをしたとします。
そこで、アサーティブです。積極的に自己主張します。
「それやめてくれませんか」
果たして言われた側はどうでしょうか?どんな気持ちになるでしょうか?
ついつい反抗したくなったりします。これでは目的は果たせませんね。
では、これはどうでしょうか?
「ちょっと困っているので、助けてもらえませんか?」
相手は反抗的になる理由はありませんので、こちらの主張を受け入れてくれやすくなります。
自己主張は、相手に分るように伝えてこそ意味があります。
率直に言うとは、言いたいことを言えばいいということではありません。
言いたいことを言うだけなら、必ず対立に到達します。
「もっと頑張ってください」
これではなにをどのように頑張っていいのか、チンプンカンプンで、意味は分りません。
分らないけど、目上目下の関係から、一旦はその場は頷きます。
でもなにをどのように頑張っていいのか意味は分っていないので、最終的に問題となって露出します。
「そのくらいのこと、言わなくても分るだろう」という考え方は心情的には理解できても現実的ではありません。
「そのくらいのこと、言わなくても分るだろう、でも念のために」の”念のため”が実は普通のことであって、別に念入りなことでもなんでもないのです。
人に頼んだり、指示するときは、具体的に時間を切ります。
「これ、やっておいてください」
「これ、明日の晩までにしておいてください」
「これ、明日12日の夜7時までに提出してください」
同じことを頼むのにも、こんなに違います。
晩というのは人のよって違うのです。
「これ、明日12日の夜7時までに提出してください」は、相手と自分を尊重した頼み方なのです。
もし、変に気を使って、「これ、やっておいてください」と頼んだら、明日12日の夜7時までに提出してくれるでしょうか。
難しいですね。すると、頼んだのにしてくれていないと内心で怒りに変わったりします。
その原因は、「自分も相手も大切にする」ことを忘れて、自分の感情、この場合なら、「言うと嫌がられるかな」と考えて、はっきり言葉にせずに伝えたからです。
率直でなかったことが関係をこじれさせる原因を作ったのです。
率直であるつもりが実は率直でない場合が非常に多いのです。
もし、感情的な行動が多かったり、こじれることがあれば。まず 自分が率直であったかどうかをチェックするようにします。
モチベーションを弱める原因にもなるので、注意したいものです。
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天邪鬼
天邪鬼は、ノン・アサーティブが、アサーティブになりきれず、ネガティブなアグレッシブになった状態です。
つまりアサーティブの四本柱(素直・誠実・対等・自己責任)のうち、素直・対等と自己責任が抜け落ちているのです。特に素直」がかけている点が台無しにしてしまいます。その分、誠実であることは間違いないのですが、対等になれないことが素直になれないことに影響しています。
自己否定感が強いため、内心では対等になれないことに苦しんでいます。自分にとって大切なヒトほど対等になれない悔しさが素直になれなくしているのです。
アサーティブ4本柱/誠実であること
モチベーションを高めるうえで欠かせないアサーティブは、 率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任の4つの大きな柱からなる仕組みで成り立っています。
誠実とは、自分にも他者にも、嘘をつかないことが基本です。
自分に嘘をつかないとは、自分の心の声に傾聴することが、原点です。
そこには、相手や周囲の人が、どう思うかで判断するのではなく、自分がどう感じているか、自分がどうしたいのかで判断する態度があります。
この態度が誠実であって、その態度は、そのまま他者に反映されます。
心にもない態度は、誠実から脱線した態度で、対等と密接に絡んでいます。
私たちは、自分の気持ちをよく知っているようで、そのくせ、自分ことがよく分らないといいます。
自分の気持ち知る力は、ライフスキルでいう自己認識スキルで、ライフスキル全般を支える重要なスキルです。
自分の気持ちがわからないと、感情の表現ができなくなり、感情的な行動をとるようになってしまいます。
感情的な行動は、自分と周囲の人を無意味に傷つけ、率直なコミュニケーションができなくなるので、アサーティブを破壊します。
時と場合によっては、自分に嘘をつくことが必要と考える人もいるようですが、そうとは言えません。
自分と周囲の人を尊重するために、誠実さは欠かせないスキルなのです。
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アサーティブ4本柱/対等であること
モチベーションを影響を与えるアサーティブは、 率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任の4つの大きな柱からなる仕組みで成り立っています。
対等とは、自分も相手も大切に、人権尊重の精神を反映した態度、行動です。
言いやすい人にだけ言うようなすることをせずに、誰に対しても、分け隔てなく、どんな場面でも、態度を変えず、同じように接することです。
へつらうかと思えば、尊大な態度をとる。このように相手によって、態度を変える人を見かけまることが少なくありません。
相手に対して失礼ということもありますが、その構図がそのまま自分の裏返しと考えることができます。
昔から日本文化には、謙遜することが美徳のようにしている面があります。
ギフトを渡すときにも、「つまらないものですが」と言うように、会議をしていても、「つまらない考えですが」と、つまらいを前置きして話すことも少なくありません。
その本心がどうであれ、自己卑下した態度は、コミュニケーションに支障をきたします。
「大事な事だから真剣に聞いてほしい」意欲が欠かせないのです。
アサーティブでは、率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任の4本柱で構成されていますが、対等であることが欠けてしまうと、率直さも、誠実さも失われ、アサーティブのポリシーはすべて崩壊してしまいます。
いかにビジネスだからといっても、相手によって態度を変える人が尊敬されることはありません。
自分より目上の人に対して気配りができるなら、その気配りを立場的に弱い人にも向けてこそ、尊敬されます。
その力は周囲の人に大きな勇気として届くはずです。
へつらう態度を批判的な心情で見て、気の合う人でなければ、気配りしないことを正義のように考える人も少なくありませんが
閉じた世界にいるだけで、対等でない点では、根っこは同じです。
誰に対しても、分け隔てなく、どんな場面でも、態度を変えず、同じように接する。それが対等です。
モチベーションに影響するアサーティブの4本柱を忘れないようにしたいものです。
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アサーティブ4本柱/自己責任
私たちは誰かの行動について、その行動の理由を問う場合もありますが、その大半は自分なりの解釈で終わります。
その解釈の正否は不確かですが、その解釈を事実であるかのような判断をします。この解釈を当事者である相手に投げかけた場合、大半は非難として伝わってしまいます。
無視が起こるので、当然のように相手は反発します。
このようにコミュニケーションには、常に問題が起こる土壌があります。
その上、感情を持つ人間であれば、大事なこと、話にくいことを話題にする場合、話した後を想像すると緊張から不安になるのは普通です。とても人間的な状態ですが、不安を持つ事自体を心の弱さと思ってしまいます。
相手に何かを伝えたい時、話しにくい話題を話し合う時、話した後、どうなるか不安になったり恐怖心が生まれるのが普通です。
それが人間です。
不安になるのが当たり前で、健康な証しと言えます。
むしろ不安にならない方が、独善的な傾向があり、問題だと言えます。
そこで、不安になるのが当たり前として、自分の立場を明確にして、話すことでチャンスをものにすることを考えるのがポジティブと言えます。
ここまではそれでいいのです。
問題はこの先から始まります。
さて、この不安や恐怖心があるために(あっていいのです。無い方が問題です)自己防衛的になりがちです。
すると、率直さや、誠実さを失い、遠回しな表現や曖昧な表現になったりします。
問題はこのときに生じます。
相手は、遠回しな表現や曖昧な表現のせいで、自分が攻撃されているように感じます。
すると、相手は自分を守ろうとしますので防衛から、攻撃的になります。
遠回しな表現や曖昧な表現をしている当人は遠慮があったり、気を使ってるつもりですので、それを誠実と思うことが少なくありません。しかしそれがとんでもない考え違いなのです。
親の心、大人の心、子どもの心の「三つの心」の使い方を思い出してください。
片方が防衛から攻撃的になると、親の心から子どもの心に投げかけます。相手も防衛から攻撃的になり同じようにします。すると交叉しますので、険悪な状態になります。
上から下に向かって言い合う対立した状態は、対等でないことを意味しますので、これほど気分を害することはありません。
「なぜ、自分は人して尊重されないのか」と感じます。いやですよね。
知ってほしい気持ちがあって、それを伝えることは、全然問題ありません。
問題は伝え方なのです。
ここで説明したような伝え方だと、相手を傷つけますので、その逆襲に合うこともあります。
すると互いにいやな気持ちになりますね。それが問題だということです。
それを相手も自分も傷つかない状態、つまり対等であることを忘れずにクリアするには、具体的に話すことが条件になります。
具体的とは、 自分と相手に嘘をつかずに、抽象的な表現や曖昧な言い回しをせずに、率直に伝えることです。
これを実行することが、自己責任なのです。
アサーティブの自己主張とは、いたずらに自分の意見や考えを主張することではなく、嘘のない人間関係を築くという目的を達成することなのです。
まとめ
しかし現実には、食べてストレスを解消するよりも、面倒を避け、簡単に安心したいので、もっとも簡単な安心の方法を選びがちです。
しかし、ライフシフトのことを考えると、面倒でも私はOK、あなたもOKの自他肯定の交流パターンを実践します。
コミュニケーションは違う価値観、違う意見を認めることが原点です。そのスタートが 、自分を肯定して、健全な形で、自分を主張することです。自分がそうであるように、他者もそうであると認識したアサーティブなコミュニケーションを心がけます。「自分はもっと幸せになっていいのだ。
同じように周囲の人ももっと幸せになってもいいのだ。 それを実現する力が率直、誠実、対等、自己責任です。