【生前葬 特集】生前葬が似合う人、似合わない人

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生前葬

生前葬」は自分に似合わないと思う方もいらっしゃると思います。

でもも一度人生をチャレンジする。自分のやりたかったことをするのに、似合う、似合わないはないと思います。
事実を素直に認めるだけです。

その意味で「生前葬」はバイアスにかかっていないニュートラルな自分を再確認するリセット作業です。

すべてを白磁にしてゼロから再出発するのは口で言うほど簡単ではありません。

生前葬」は決意に比例します。

どんな人にも避けたいことがあります。

その代表が「病気」、自然とネガティブになります。

そしてどのように努力しても、避けられないのが「老い」

自分は43歳以上生きるとは思っていませんでした。

本当にバカな話ですが、エルヴィス・プレスリーが亡くなったのが43歳だったからです。

何の因果関係もありませんが、なぜか43歳が終わりだと思っていました。

次に高倉健さんは死なない人だと思っていました。
あっさり亡くなってしまったので、意外でした。
なぜなら80歳を超えてもスクワットを毎日1800回やっていたと聞いていたからです。

同じような意味で長嶋茂雄さんが脳梗塞でダメージを受けられたのもショックでした。

みんな、似合わないですよね。

その「似合わないこと」を受け入れるのが「人間らしさ」だと思います。

人間にはどんなに頑張ってもどうにもならないことがあります。
その真実を受け入れて精一杯生きるのが人間なんだと思います。

どんなに頑張っても跳ね返されるだけのこともあると思います。

それでも、老いは避けられないけど、老いに耐えることはできます。

身体の老いは避けれないけど、心の若さは自分のあり方で若くいられると思います。

無理に若ぶるのではなく、自然に若々しいのは、他者が見抜きます。
見抜くというと大袈裟ですが、自然と感じるのです。

20歳の人と、話していても20歳の人が違和感を持たない。
持たない自分に気づいて、「この人は違う」と感じるのです。

人によっては「なぜ?」「なぜ?」と言葉にする人もいます。
自分の物差しにある60歳、70歳と全然合わないからです。

歳をとるほど若々しくなっているからです。

生前葬

歳を重ねても若々しいのは、思い込み、決めつけがないのです。

「西遊記」に孫悟空がいくら飛び回っても、実はお釈迦様の手のひらをグルグル回っていただけで、手のひらの外には飛び出せなかったという逸話があります。

老いると「自分はわかっている」「なんでも知っている」と思うものです。
しかし、実際には耳学問で得たことが多く、自分が体験して知っていることは、たかだか知れています。
お釈迦様の手にひらの内なのです。それを謙虚に受け止めていると、常に学びの姿勢が滲みでてきます。

相手はコミュニケーションのなかにそれを感じるのです。
だから「言葉が若い」と言っても、「若者言葉」を使っているわけでもなく、この言葉が若いと具体的に言えるわけでもないのです。

生前葬」をキッカケにして新しいステージに行くのは自分です。
そこに行く方法は?行った先でどうなるの?と考えてもずっと解けないでしょう。
行くから課題が出てくるし、課題と取り組んでいる内に道が少しずつ開けていくのです。
だから歩み出さないとなにも始まりません。

エルヴィス・プレスリーのお墓にテネシー州メンフィスに行った時のことです。
深夜に飛行機が飛ぶので、タクシーを呼びました。ドライバーは黒人の青年でしたが、これまで見たこともない生気のない冷たい目をしていました。
メンフィスにはアメリカの旅行者にも見分けがつかない地元民も恐れる危険なエリアがあります。
もし彼がそこで生まれ育っていたとしたら、とっくに置いた心を持っていたとしても不思議ではありません。

老いは年齢ではありません。夢や希望の質と量で決まるのではないかと思います。

先の先まで見ることができる「グーグルマップ」はありません。
孫悟空が「グーグルマップ」を持っていても、お釈迦様の手のひらからは出られなかったと思います。

生前葬を、人生最後のチャンスと生かしていただくとうれしいです。

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