こんにちは、人生200年時代のマインドフルネスなライフデザイナー、ゲンキポリタン、Naoman-Minoruです。
托鉢する雲水さんに出会ったことはありますか?
雲水さんが行脚で集めたお米や食材で料理した「お粥さん」を考えてみました。
雲水さんは典型的なミニマリスト。所有する家財道具は食器「応量器」だけ?
「応量器」は食を整え、暮らしを整えます。
お粥さんプロジェクトでは、黙食の意味を掘り下げ、食べること、暮らすことを通して200年人生をマインドフルネスに整えます。
托鉢行脚
流れる雲、水のように・・・諸行無常
「雲水」とは、修業僧のこと。
流れる雲、水のように、一ヵ所にとどまらないことから「雲水」と呼ばれるようになったそうです。
福井に行った折にはぜひ訪れていただきたい永平寺。
すべては一つの釜に
典座はすべてのリーダーに通じる存在。
そのお料理をいただく雲水は、美味しいとも不味いとも言わず、一切残すことなく黙々といただく。その胸中たるや・・・。
そこある「ひとつの釜」から広がるダイナミックな世界に、政治・経済の原点を感じます。
黙食
現代社会では、「いただきます」「ごちそうさま」が形骸化している気がしませんか。
テレビは形骸化する文化にさらに拍車をかける。「いただきます」は世界中の哲学の根源。
新型コロナに揺れるいま、表面化している問題は「話しながら食べる習慣」「食べながら話す習慣」で生じる災害。
現代社会では「黙って食べることを悪のように思い込んでいる人」さえいる。
しかし禅寺では食事中に一切会話しない。この真逆には驚くしかない。
食べることは人間関係も含んであらゆる関係(つながり)の原点。
その顕著な事例が「議員の会食」・・・黙食の対極にある思想。
人間社会の諸悪の根源。
無分別に折りたたまれた智慧
言葉があるから美味しいと不味いと分別する、しかし、それは同時に不味いものがあることを意味します。分別しないのが仏(悟った人)の心。
施していただいた人はもちろん、罵詈雑言を浴びせた人さえも傷つけるようなことは口が裂けても言わない。
釜に入るまでのプロセスの一切を呑み込んだ典座は仕事に精魂を傾ける。
雲水は一切分け隔てすることなくいただく。
思えば、「お粥さん」は修羅場そのものではあるまいか。
自分は以前、長崎の精霊流しを夕闇の稲佐山から見ていたことがあります。盆前に死去した人の遺族が故人の霊を弔うために手作りの船を造り、船を曳きながら街中を練り歩き極楽浄土へ送り出すという長崎の伝統行事。
素材も作りも違う船が海に向かって街中をいきます。お金持ちの船はたいそう立派で曳く人手も多くその風情は毎年出している「だんじり」のよう。それにまじって母親と子どもだけで曳いている初盆の小さな木の船がいきます。それだって立派なものです。
遺された家族の思いに涙なしには見られない長崎の街の光景は、お粥さんに似ている気がします。
まとめ
托鉢する雲水さんに出会ったことはありますか?
ここでは雲水さんが行脚で集めたお米や食材で料理したお粥さんを考えてみました。
「お粥さん」、雲水さんが使う食器「応量器」は食を整え、暮らしを整える意味でも真似したいですね。
お粥さんは、まず味のベースを学ぶためにレトルトのおかゆ 永平寺 5種類10食セット (朝がゆ・玄米がゆ・そばがゆ・五穀がゆ・小豆がゆ)を購入、その後は、朝粥を中心に、自分で作るようにしています。自分で作ったお粥さんを「応量器」でいただく習慣もすっかり日常になりました。