こんにちは、人生200年時代のマインドフルネスなライフデザイナー、ゲンキポリタン、Naoman-Minoruです。
お粥さんプロジェクトしていますか?
お粥さんは禅寺の朝食として定番です。
福井県吉田郡永平寺町に曹洞宗大本山「永平寺」を開かれた道元禅師が『典座教訓(てんぞきょうくん)』という書を著し、「食」に関する金言を通して「禅道」を示されています。
典座とは、禅堂で料理を司る僧侶の役職名。
「お米を研ぐとき自分は水になる」。。。禅の本質を突いた一文が刺さります。
水になるとは水になりきることで、必然で自分は無になるしかありません。
禅道はこのひとことに集約されています。
道元禅師は、『典座教訓』で、ライフデザインの鏡となる「禅道の本分」として日々三種類の心得を持って勤めなさいと説かれています。
三通りの心得は以下の三つです。
- 自利利他。自分を高め他人を成長させ、さらに仏道を高めなさい。
- 僧堂を発展させ禅者の自覚を確信しなさい
- 先徳と肩を並べ、先徳の大きな行いを慕い受け継ぎ自他が幸せになるように勤めなさい。
つまり三種類の心得とは、ここでいうエンドレスにワンダフルと同義語です。
ではライフデザインを素敵に整えるために、『典座教訓』という書物で、道元禅師が食事を作る心構えとして説かれた三心からスタートしていきます。
三心(さんしん)のこと
『典座教訓』という書物で、道元禅師が食事を作る心構えとして、さらに「三心(さんしん)」を説かれています。
「三心(さんしん)」とは、
- 「喜心(きしん)」
- 「老心(ろうしん)」
- 「大心(だいしん)」
喜心=つくる喜び
老心=もてなす喜び
大心=相手の立場を思う喜び、親切心です。
喜心
喜心とは、喜びの心です。
人間に生まれた喜びや感謝。
今、目の前にある生命(食材)の恵みに対しての喜び。料理が出来る喜び。
老心
老心とは、孫や子供を愛するような慈しみの心。
母が我が子を思うように、無償の愛情をもって調理すること。
料理を召しあがる人のことを思う「おもてなし」の心です。
大心
大心とは、山の如く高く海の如く広い天地いっぱいの寛大な心です。
どんな方へも偏見や固定観念を捨て、召し上げる人のことを思うことです。親切で丁寧な心掛けと作法です。
「粥有十利(しゅうゆうじり)」お粥を食べる10のメリット
お粥は禅寺ごはん。
心と身体を整える朝食、必要最小限の爽やかごはんです。
朝のごはんは、準備に意味があると思っています。
朝起きたら、窓を開けて、掃除して、朝食を準備します。
空腹を満たすだけならなんでもいいですが、それは虚しく自分を粗末に扱う食。
自分の心と身体と一日を整えるなら「お粥さん」は最適です。
お米を洗う、お湯を沸かす、弱火で炊く、塩とゴマを煎る・・・
一連の作業は一日を整える「さあ、始めようか」という意味。
無駄を削ぎ落とした禅寺ごはんは集中力を高めます。
お粥さんには粥有十利(しゅうゆうじり)と言う言葉があります。
「粥食には10の利益がある」という意味です。
10の利は、
①色 (体の色つやが良くなり)
②力 (気力を増し)
③寿 (長命となり)
④楽 (食べすぎとならず、体が安楽)
⑤詞清辯 (言葉が清くさわやかになり)
⑥宿食除 (前に食べた物が残らず胸やけもせず)
⑦風除 (風邪もひかず)
⑧飢消 (消化よく栄養となって飢えを消し)
⑨渇消 (のどのかわきを止め)
⑩大小便調適 (便通もよい)
お粥を準備する間に、今日も目標のある一日にしていきます。
身体中をリラックスさせて、素敵な一日をお過ごしください。
目標がない人に準備する朝は過ごせない。
お粥さんが最適な理由は、身体に優しいのは、もちろん準備することが自分を鍛える修行に通じるからです。お粥さんで朝食を整えることは自分の一日を整えることに他ならないからです。
目標がない人に準備はできません。
準備とは原因。成果が結果。因果応報。人生とはたったそれだけのこと。
だから念入りに準備をするお粥を創る間はお粥になりきっています。
他のことは考えません。
では今日することはいつ準備するのか?
今日することに向かい合った瞬間、今日することになりきるのです。
つまりなりきる態勢をお粥さんを創ることで創っています。
お粥さんを創ること、食することで、気づいたことは日常におとしこみます。(=「悟り」です)
お湯から炊いたお粥さんと一緒にごま塩をいただきます。
塩を煎り、さらに胡麻をサッと煎り、煎った塩と胡麻をひとつにして薬味のようにお粥さんと一緒にいただきます。時間にしてほんの数分ですが手間をかけるのは自分のためです。
つまり一連の準備は自分への応援に他なりません。
お粥ごはんは淡味です。素材に感謝しやすい無駄のない合理的な食事です。
美しい作法も含めて、とてもシンプルで美しい食事は200年ライフを美しく生きる基本です。
応量器で愉しみたいですね。安くないので覚悟が決まってからでも遅くはありません。
腹式呼吸で緊張を解く
腹式呼吸してますか。
腹式呼吸には細胞に酸素を取り入れ、二酸化炭素を押し出します。
腹式呼吸するとき、丹田を意識します。
丹田は下腹部分にあり、腹式呼吸をする際は、この丹田を意識して行っていきます。
丹田はおへその下にあります。おへその下に握った拳を置いてみてください。そこが『丹田』です。息を吐くときは、丹田から息を押し出していくイメージです。
息を吸うときは、丹田が膨らんでいくというイメージです。
簡単そうで難しくて習慣化できないことが多いようです。
いろいろ対策もありますが、まずはベタに意識して取り組んでみましょう。
腹式呼吸をすると気持ち的にも落ち着きます。
身体は鍛えた分だけ必ず反応してくれるので、愉しみながらできることが良いですね。
立っている時間を増やす
ハッピーフライデーは良い習慣
ハッピーフライデーはONとOFFをはっきりスイッチする良い習慣ですね。
「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」
「ハングリーであれ、愚直であれ」(スティーブ・ジョブズ)――この言葉は禅の教えだった。
「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」はスティーブ・ジョブズ氏とスティーブ・ジョブズが唯一、心を許した禅僧・乙川弘文氏の交流のドキュメントをコミックで描いています。
スティーブ・ジョブズのライフデザインは三心で粥有十利を超えたでしょうか。
「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」にデニーズで乙川弘文氏とオーダーをする場面が出てきます。ジョブズ氏は氷抜きの水しか注文しませんが、禅僧である乙川弘文氏はを注文します。混乱するジョブズ氏に二分法的思考(ニ極化思考)の危険性を注意します。
二分法的思考(ニ極化思考)とは、白黒思考に代表される両極端な思考。
境界性パーソナリティー障害の人に多く見受けられます。
善か悪か、極端な結論を求める傾向は不安耐性が弱いひとには早く安心したい心理に打ってつけの思考法ですが、現実的でないのでさらに問題を大きくしてしまう欠点があります。
二分法的思考(ニ極化思考)は、仏教の進化系「唯識(ゆいしき)」では煩悩の原因として特に問題視しています。善か悪かにこだわり悶々とするジョブズ氏の心の奥底に禅に惹かれる動機が見えます。答えはひとつではなく、あるがままを受け入れる大切さを時間をかけて禅から学んでいたようです。
「ゼン・オブ・スティーブジョブズ」を読むとわかるように、禅を頭(言葉)で理解するのは簡単ではありません。禅を理解するには言葉ではなく感覚で理解します。私たちは論理的に説明できる方が安心できますが、それが苦痛の原因になっているのも事実です。
自身のライフデザインをiPhoneをはじめ製品に投影したスティーブ・ジョブズ氏も憧れた「永平寺」は聖地そのものだったようです。論理的な説明を超えた禅(ZEN)は、言葉にできない美しい人生を創造するのにぴったりなのです。
私にはスティーブ・ジョブズ氏が空海のように映ります。
空海は長安に渡って密教を学び日本に持ち帰り京都東寺を経て高野山に原始仏教の進化系として密教の世界をビジュアル的に示します。
スティーブ・ジョブズ氏はヒッピームーベントに自身を投げ込み、その中心に禅を発見、禅の進化系として自分の哲学をビジュアルにして世に出します。
勘違い、思い違いがあったとしても、iPhone,iPadはジョブズ氏の世界そのものであり、禅の心が集約されたものにしたかったのです。そして癌に倒れ途中で挫折したもののiPhone,iPadはまだまだ進化すると想像していたと思います。大きな時の流れからみれば、誰もが大河の一滴なのです。
誰もが大切なことは「いま、ここ、この瞬間、それになりきる」ことです。
まとめ
ライフデザインは200年ライフのライフシフト、具体的なライフプランの背景になるものです。
つまり哲学ですね。禅僧・乙川弘文氏は学生時代、本を貪り読んだが頭でっかちで何も理解できなかったと話されています。苦しみ混乱した末、坐禅の必要性を感じたといいます。
禅は知識ではなく実践がすべてです。
お粥は坐禅の食事バージョンなのです。
毎朝、起きてから、炊き、ごま塩を煎る。
「食べる準備をすること=一日のオンのスイッチを入れる」
本を出してきて机に置く、そして読む。
「出してきて机に置く」という準備がスイッチを入れることです。
ONとOFFの習慣化こそニュートラルな自分づくり(決めつけない自分)になっています。
準備されていない自分、意識されていない自分、意志を持たない自分、つまり解放された自分に本来の自分の能力を求める。お粥は自分を解放する食べ物と考えてみると愉しさも広がるのではないでしょうか。お粥を食べる準備をすること=一日のオンのスイッチを入れる