こんにちは、人生200年時代のマインドフルネスなライフデザイナー、ゲンキポリタン、Naoman-Minoruです。
「飢餓海峡」という映画をご覧になったことはありますか?
「雁の寺」「五番町夕霧楼」などを発表された水上勉の原作を映画化、監督は内田吐夢。
主演は三國連太郎(佐藤浩市のお父さん)、左幸子、助演に高倉健、伴淳三郎。
今日は日本映画の1、2を争うような名作、内田吐夢監督の映画「飢餓海峡」についてお話します。
「飢餓海峡」という内田吐夢監督作品
「飢餓海峡」は1965年に公開されました。
- 作品賞
- 監督賞:内田吐夢
- 脚本賞:鈴木尚之
- 男優主演賞:三國連太郎
- 女優主演賞:左幸子
- 男優助演賞:伴淳三郎
などを獲得した1964年製作、65年公開の東映作品です。
映画は原作の主要人物、女性「杉戸八重」に絞り込んで、これが見事に成功しています。
結論から言うと、主な賞を総ナメしていることでわかるように本作は傑作です。
ところが公開時点では、揉めに揉めた作品としても有名です。
揉めに揉めた結果、2本の「飢餓海峡」が公開
当時は2本立封切りが慣行されていました。劇場主はどれだけお客を回転させるかで収益が変わるので、映画の質にこだわりつつも作品の長さにもこだわっていました。
映画会社は劇場主の要望に応えて、上映時間にこだわり製作していたのです。
「飢餓海峡」は完成時のオリジナル・フィルムが192分1秒に及んだため、あまりにも長いので、東映東京撮影所の今田所長はフィルムカットを決定。しかし内田吐夢監督は聞き入れず、助監督だった太田浩児監督が意向に沿ってカット。内田吐夢監督は「短縮版を封切るなら『監督・内田吐夢』の文字を外せ」と強く反発。歴史的に有名な「カット事件」として大騒ぎになりました。
スポーツ紙は競って連日、大見出しで事件を報道し映画界も騒然となったといいます。
最終的に「大川社長と二人で話してくれ」とプロデューサーの段取りで東映の社長と内田監督の二者面談での折衷案で183分の修復版を作ることが決定。さらに岡田プロデューサーは「直営館では183分の修復版、その他の契約館では167分の短縮版を上映するという条件」で公開に踏切ました。
「カット事件」と莫大な予算超過で、岡田プロデューサー以下幹部が大川社長から始末書の提出、減給処分を受け、内田吐夢監督は退社することになります。さらにフィルムをカットした太田浩児監督は著書で「所詮偉い人には頭を下げる内田監督に怒りを感じた」と述べています。
未だに192分1秒のオリジナル版は発見されていないといいます。いま公式に鑑賞できるのは183分の修復版です。
映画「飢餓海峡」は日本映画のベスト1
「飢餓海峡」は、貧困ゆえに運命の因果に翻弄される人々の罪と罰を描き、日本の戦後史を刻んだ重厚な傑作です。刑事物のサスペンスという見かけですが、実質は骨太の恐ろしくピュアなこれ以上ない「純愛映画」です。しかも戦後の社会劇として最高ランクの作品です。
社会劇の刑事物として浮かぶ映画に外国の小説を映画化した黒澤明監督「天国と地獄」が連想されますが、決定的に違うのは「飢餓海峡」は「浪花の恋の物語」同様に「純愛映画」だという点です。
純愛映画ですが、「息をするための因果映画」といってもいいのではないかと思います。
しかも「飢餓海峡」にはテンポの良いダイナミックな遭難事件(実際の事件)の導入部分があり、それが一気に登場人物の因果の糸に絡んでいきます。
結果(結末)から振り返ると出会い(原因)がなければ、映画賞を獲得した登場人物に悲劇は起こらなかったと考えさせます。この点も見事です。抜き差しならない因縁で結ばれた人間関係を演じた三者がすべて映画賞を獲得したというのは、監督・スタッフのエネルギーが乗り移ったといえるからです。
それを思わせる場面が女優主演賞を受賞した左幸子が、人間の意思をあざ笑うような目に見えない因縁。抜き差しならない因縁から逃げたくて、無性に走り出さずにはいられないように逃げる場面の荒涼とした空気感。
俯瞰する寒々としたカメラワークと左幸子の怯えが圧倒的に壮絶で、結末を暗示しているようです。
1回目の鑑賞ではわかりませんが、複数回見ると思わず唸ります。逃げていきますが彼女のめざす行き先はずっと執着してきた恋の成就なのです。ネタバレになるのでその先は言いません。
「圧倒的な迫力」がふさわしい内田吐夢監督作品
見るたびに内田吐夢監督作品に感じるのは「圧倒的な迫力」のひとことです。
圧倒的な迫力とは立ち回りや画面に引き込む見せかけの迫力とは意味が違います。
日本映画の評価は、主に外国の評価に依存する傾向が高く、黒澤明監督や小津安二郎監督が有名です。しかし本当はどうなんでしょう。本当は彼ら以上に良い作品も優れた監督もいるのに注目しない、うわべの評価、海外の評価でスルーしてきた怠惰な映画ジャーナリズムの責任大だと思います。
内田吐夢監督には圧倒的な迫力が漲った「宮本武蔵五部作」や「大菩薩峠三部作」、近松門左衛門の人形浄瑠璃を描いた「浪花の恋の物語」「花の吉原百人斬り」など報われない愛を描いた三部作などに描かれた途方もない深さと大きさに、さらには、見えない深さと大きさに、何度見ても、見るたびに日本人のDNAが唸る作品が並んでいます。
内田吐夢監督は恵まれない監督でした。岡山で生まれ、東京では愚連隊・ルンペンをしていたときもあったそうで、その時のニックネームがトムで監督名になってしまった。
終戦のとき、家族の待つ祖国への帰還を拒否し、内戦から新国家建設期の中国に残留、1953年になって身も心もボロボロになって帰国します。
つまり戦後の映画デビューが遅れたのです。
帰国第一作目の「血槍富士」以降、主に東映を基盤に数々の名作を放ちます。
「宮本武蔵五部作」や「大菩薩峠三部作」はもちろんですが、炭坑の落盤事故で生き埋めにされた人々を描いた「どたんば」という作品の圧倒的な迫力には思わず惹きつけられました。
まだデビューしても間もない高倉健にダメ出しを繰り返し「殴って俳優を辞めよう」と思わせたのも有名なエピソード。(終生、部屋には内田吐夢監督の写真が飾られれいたといいます)
その高倉健を「宮本武蔵五部作」では佐々木小次郎に起用した頃には、映画は斜陽に差しかかっていました。
仏教の空気感、つまり「因果」
内田監督作品から漂う仏教の匂いが、どこから来るのかよくわかりませんが、神は細部に宿るというように、内田吐夢監督作品には、仏陀が細部に宿っているように感じます。
晩年の「飛車角と吉良常」は、任侠映画の枠に収まらない傑作ですが、他の任侠映画の傑作と明らかに違うのは仏陀が細部に宿っているのを淡々と描いている点です。つまり因果が転がるように流れていく様に人間の業を感じます。
優れた任侠映画の特質は「業」の凄まじさが描破されている点です。人を思えば思うほど悲劇的に展開していく様は本来なら幸福に向かうであろうはずなのに、逆に不幸に陥っていく。
「飢餓海峡」にも同じことが言えます。映画賞を獲得した登場人物に生じた悲劇もそうです。
飢餓とは、お金、物質への飢餓だが真実は愛情への飢餓であり、その業が不幸を惹きつける、汝、その海峡を渉なかれと言うように聞こえます。
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まとめ
人には、人間の意思をあざ笑うような、目に見えない因縁。抜き差しならない因縁があると思います。内田吐夢監督作品には人間の運命がどうなるかを私たちに凝視させようとする強い力が感じらます。私たちはここからヒントを得て、回答する準備が必要だし、回答すべきだと思います。
それが私たちひとりひとりに突きつけられたテーマだと思うからです。