ないしょシネマ|単騎、千里を走る。

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『単騎、千里を走る。』は、父と息子の映画ですね。

民俗学者である息子が中国の仮面劇役者と交わした約束果たすため、息子に代って単身中国に渡るお話です。

プロローグとなる「日本編」の描き方が重要で難しいように思いましたね。

こんにちは。Naoman-Minoru Minoruです。長年、封印してきた息子への想いがあり、起こるべくして起こったこと。代役を果たすことを選んで当然のことだと思います。『単騎、千里を走る。』を見てみましょう。

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映画「単騎、千里を走る。」

子どもは男の子でも、女の子でも、愛していると言って欲しいものです。

一方、親は母親でも父親でも、愛していることはわかっているだろうと思うものです。愛しているから育てているとね。

でも、それは理屈です。愛情とはそんなものではないでしょう。

ずっと大切に思ってきたし、子どもも知ってることです。そう、分かっているはずです。

わかりませんね。言ってくれたないのが問題なんですよ。

父親が愛を表現しないのは、父親の父親が昔の人だし、そうだったからです。因縁です。男が主導権を持ち、あらゆることに責任を持ち家の中では権威だったからです。権威があるとは自分にはできないとか、わからないとか言えない立場だということです。感情的な表現を表すことは模範的な姿に当てはまらない時代の人だったのです。

権威とはただ偉そうにしていることではないのです。家庭から少し離れていることは、責任を果たそうとする間の取り方なんです。

そこが描かれていないと、いまの世代の人には理解できない。

そう、感情の扱い方は、男女の間でも同じだったんですよ。

高倉健と中井貴一、二人の年齢は、少なくとも映画の上では、名優 高倉健と中国の巨匠チャン・イーモウ(張芸謀)監督の組み合わせ以上に、重要な要素なんですよね。夢のタッグで実現したハートフルな作品だけど、時間の制約もあるので映画は簡単にまとめすぎた感がします。

どんな事情があったのか分からないが疎遠になった父と息子(中井貴一:声だけの出演)。末期ガンであることを本人に知らせず、関係修復を願って父に知らせた妻(寺島しのぶ)三人の関係は、それしか分からない。
男は中国(雲南省、麗江市)に行くことを誰にも伝えず旅立つ。

この部分は、日本側だけの演出(降旗康男監督)なのか、チャン・イーモウ監督も、それ以外のことには一切触れない。観る人想像力が必要ですね。

単騎、千里を走って、父親と息子の関係修復がどうなったのか、映画は語らない。
チャン・イーモウ監督の傑作『初恋が来た道』が胸を叩いたのはチャン・ツィイー(役名:チャオディ)の圧倒的な可愛さだけでなく、年老いたチャオディが子どもたちに守られながら愛する夫の葬儀の場面があるからだったと思う。

つまり『単騎、千里を走る。』では、息子との関係修復にあたると思うけど、仮面劇役者の子どもヤンヤンとの関係に重点が移動して、空中分解したような気がします。健さんが亡くなった中井貴一を想って日本海を見ている場面で語り切ろうとするのは、いくら背中で語れる健だったにしても、少なくと私の頭では無理があるような気がします。つまり、息子との関係修復はテーマのようで実は違うんですね。

単騎、義理を背負って荒野を走る

単騎、千里を走る

『単騎、千里を走る』は元々の題材が理解できていないと親子の映画と勘違いしますが、実は男のあり方の話なんです。
元々の題材『千里走単騎』は、劉備の義弟関羽(かんう)と劉備の物語です。

中国勢のキャストは現地の人。(=全員素人。仮面劇の役者は実際の仮面劇の役者)
これもチャン・イーモウ監督のポリシーだ。映画のイニシャティブはチャン・イーモウ監督が握り、日本側は協力する体制。

映画の大部分は、仮面劇をなんとか撮影しようとして奔走する父親の姿を追う。
息子が約束していた仮面劇の演者が監獄に入っていて、普通ならとても演技を依頼することなど出来ないにかかわらず、それでも手を尽くして役者と会おうとする。

ツアー会社のガイド 兼通訳が前例のない要望に応えられないという。
懸命に会おうとする姿を見かねた運転手がガイドを買って出る。

まるで「単騎、千里を走る。」じゃないか。
たったひとりで、ここまで来た。まるで関羽と同じだ。
その義理が大切なんだ。男はそうじゃないと。

つまり、義理の話なんです。中国人なら、このセリフで理解できてしまう。最後のオチも納得なんですよね。

「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない。きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ。人間たちはこういう真理を忘れている。でも、きみは忘れてはいけない。飼いならしたものには、いつだって、きみは責任がある。」(『星の王子さま』から)

共感してガイドを買って出たが、通訳ができない。辞書を片手に奮闘する運転手。
寡黙な男と日本語が分からないガイドのコンビは、つまりコミュニケーション能力が極めて低い二人が懸命の努力とアイデアで困難を突破していく。
義理に生きる男たちの姿が、共感に繋がって周囲の人を巻き込んでいく。

やっと面会できた肝心の役者がその気になれないといってうまく運ばない。
役者には、別れ別れになっている息子のことが心配だからとわかった父親は、その息子を父親に合わせるために、遠く離れた石頭村という荒涼とした土地まで旅をする。息子に会えたものの今度は息子のほうが父親と会いたくないとダダをこねる。

このあたりは、健さんが演じ、チャン・イーモウ監督が憧れたヒット作「君よ憤怒の河を渡れ」の現実版で、初老の男には命がけの冒険譚なのです。

ところが、携帯電話が鳴り、息子が他界したことを知る。仮面劇を撮影する意味はなくなります。健さんはすぐにでも日本へ戻っても不思議でないのですが、健さんはわざわざ刑務所に赴いて、父親に息子の写真を見せます。
父親は感激して涙を流し、是非自分の演技を撮影して欲しいという。いまや撮影する必要を感じなくなった健さんは、申し出を断ります。
一人の人間同士のふれあいとして自分の演技を見て欲しいといわれ、役者の演技を見ます。
この演者も義理を重んじるんですね。

ここが中国人の共感するところなんでしょね。反日とかいうけど、共産党と中国人を分けて観る必要があります。『初恋が来た道』に通じる中国人の本質があるように思います。
『単騎、千里を走る。』のテーマは人間同士の間の義理を尊重する点です。

義理に反した行為は排斥されるが、義理にかなった行為は、とことん尊重され、評価される。実際に中国人と個人的につきあうとそれがわかります。

健さんが、「君よ憤怒の河を渡れ」で、中国人の目に焼きついたのはアクションスターではなく、義理を重んじる人だったんですね。チャン・イーモウ監督は自身もそうだったので、それを映し出したかったんでしょうね。健さんは、文字通り、単騎、千里を走った

期せずして、お釈迦様の真理「四法印」を感じる映画です。

  1. 諸行無常・・・・すべての物事は移り変わり、変わらぬものなどない。
  2. 諸法無我・・・・すべての物事は関係の中で存在し、独立したものはない。
  3. 一切皆苦・・・・この世はすべてジェットコースターのようにびっくりの連続である。
  4. 涅槃寂静・・・・悟りを得ることで、安らかな境地に達することができる

愛という義理を重んじる男の映画です。

人はみんな孤独な生き物

人はみんな孤独な生き物です。

だから子供が生まれると近親相姦を避けるために、男はひとりで家族から離れて、旅に出る。いいえ、熊の話なんですが、律儀な生き方に自分は感心するのです。

立山連峰に住む「雷鳥」
夏は茶色のボディですが、冬になると雪に合わせて全身が白に変わります。
人間にはできない能力に感服します。

そう、みんな孤独なんです。
だから愛する者がいます。
でも「愛する」という言葉は同じでも、その本体は様々で人の数だけ、いいえ、生き物の数だけあります。

「単騎、千里を走る」は、愛する者を持った男が、愛という義理を重んじる映画です。
男が愛を貫くとは、こういうことなんだと教えてくれる映画です。

チャン・イーモウ監督✖️健さん

北京オリンピックの開幕の演出。「HERO」「LOVERS」では、鮮やかな色彩で歴史ロマンを描いた張芸謀(チャン・イーモウ)監督。

しかし、チャン・イーモウ監督の本質は、そんな華やかさとは遠い「あの子を探して』(99年)、『初恋のきた道』(00年)、『至福のとき』(02年)のいわゆる「しあわせ三部作」、さらに「活きる 」といった傑作群にあります。

この「単騎、千里を走る」はその延長にある作品です。

チャン・イーモウ監督のアイドルは「高倉健」
高倉健も「あの子探して」「初恋のきた道」が大好きでチャン・イーモウ監督と仕事がしたいと思っていた。

脚本のやりとりが何年も続き、ついに健さんが了承して製作されたのが、「単騎、千里を走る」でした。

「三国志演義」『千里走単騎』

三国志

三国志演義」は「西遊記」「金瓶梅」「水滸伝」と共に中国四大奇書と呼ばれている人気小説。
三国志演義」は「三国志」とは別物で、「三国志」をもとに明の羅貫中によって書き直された歴史小説です。

三国志演義」の中にある『千里走単騎』をもとにした京劇の演苜があり、「単騎、千里を走る」はこの演目をカメラに収めるために「単騎(健さん)、千里を走る」という物語です。

演目の内容は、人気の高い登場人物の一人、関羽(かんう)の物語。
曹操の手に落ちた劉備の義弟関羽(かんう)が劉備が生きていることを知り、曹操の再三の「引き止め」にもかかわらず、一日に千里を走る名馬「赤兎馬(せきとば)」に乗って劉備の妻子を伴い、次々を敵陣を突破して、劉備のもとへ帰っていく感動の物語。

「単騎、千里を走る」は、健さんの最高傑作

「単騎、千里を走る」は、健さんの最高傑作と言わなければいけない気にさせる作品です。

なぜならとっても静かな映画で誰にでも受ける映画ではないからです。

作劇手法は凝っているが、少なくとも日本の観客には「お客を感激させたい」計算すら見えない。
物語ではなく高倉健で感激させる映画のようですが、テーマは「誠実な魂、千里を走る」です。

健さんが亡くなったときに、一番ピックアップされたのは、「幸福の黄色いハンカチ」でした。
それだって傑作ですが、健さんは進化を続けた。
そしてたどり着いたのが、全編「高倉健の魂」が染み渡った本作「単騎、千里を走る」です。

冒頭、男鹿半島、禅僧のような健さんが日本海を見つめている。

気持ちがざわつき。やがて自分はどうしたいのかを見つけるまで・・・自分を見つめている。

マインドフルネスな映画

マインドフルネスという言葉がぴったりです。

マインドフルネスとは、注意深く、いまここにあるがままに存在する自分に気づくこと。

 

映画は、男鹿半島の海から、ひとり静かな命がけ、諸行無常の旅がはじまります。

意図したかどうかはわからないが、「単騎、千里を走る」というタイトルでわかるように、これは遺作「あなたへ」のプロローグであり、任侠映画へのオマージュにもなっています。

「健さんが決心する瞬間」を見るために映画館に行った

健さん

我慢の果てに意を決して単身切り込む数々の「任侠映画」ファンは「健さんが決心する瞬間」を見るために、繰り返し映画館に通い「待ってました!」と叫んだ。

観客は、美しいまでの決意の瞬間に、涙して、励まされ、声援を送ったのです。

そして観客は「健さん」が自分の中に降臨したように感じて映画館から出て行き、また映画館に戻ってくる。

 

自利利他

その誠意が中国の奥まで走る。決意を引っさげた健さんに全員素人の中国人キャスト、スタッフが引きずられて、「自利利他」が広がっていくプロセスが素敵。背筋がシャキッとする映画です。

 

「愛する者になにをしてやれるか。」と問いかけに、日本海は「愛する者にどう在るべきか」という回答をしたようである。

その回答を決意に変えて、決意を手にした突然現れた「孤独な異邦人の無茶な願い」に困惑しながらも答える術を探す人々、村中の人が集り食事会で歓待すれば、刑務所でも、管理官・服役囚らが、ひとつになって、コミュニケーションがままならない健さんを歓待する。

寡黙な上に言葉が話せない日本人と、思うことを話せる中国の人々。

コミュニケーションとは「人が人を想うこと」だと静かに伝えて、映画は終わります。

まとめ

「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない。きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ。人間たちはこういう真理を忘れている。でも、きみは忘れてはいけない。飼いならしたものには、いつだって、きみは責任がある。」(『星の王子さま』から)

「単騎、千里を走る」は、愛する者を持った男の映画です。
男が愛を貫くとは、こういうことなんだと教えてくれる映画です。

貫くと、諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静・・・お釈迦様の四法印にたどり着きました。
つまり生き抜いたということになります。

いつかは目標に通じる歩みを
一歩一歩と運んでいくのでは足りない。
その一歩一歩が目標なのだし、
一歩そのものが価値あるものでなければならい。ゲーテ

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