わかってほしいのに、わかってくれる人がいないとき、人は寂しいものです。
友だちに話しても、一緒感が乏しく、反応がいまいちなとき、
どう自分をいや島津家そんなとき、どうしていますか?
18年間、解ってくれる人出会えなかったラプンツェル
友だちに話しても、一緒感が乏しく、反応がいまいちなとき、には「女」の目で相手を見ないようにしましょう。
解ってくれてる当たり前と思わず、聞いてくれただけでサンキューです。
「塔の上のラプンツェル」の主人公ラプンツェルは、長い間、孤独を体験していました。
18年間、育ての親であるマザー・ゴーテルから、塔の外に出ることを禁じられていました。
外の世界への憧れを解ってくれる人はいませんでした。
それでもラプンツェルは、自分の誕生日の夜に遠くの空に現れる無数の灯りを不思議に思い、外の世界をひたすら想い続けていました。
「本来空寂」・・・ほんらいくうじゃく
禅語「本来空寂」・・・ほんらいくうじゃくと読みます。
人は誰しも一人で生まれ、そして一人で死んでいきます。
他者と関わることはできても、代わることはできません。
病を患うことも、老いていくことも、誰も代わってあげることはできません。
代わってあげたいと思っても代われません。
人は孤独ですが、だからと言って寂しいものではありません。
人は現れる前に現れています。去っていってもそこにいます。
「いのち」とは存在と非存在の両方に含まれています。
うン?どういう意味?ナニ、言ってるの?と思いますよね。
集中すれば感じとれるので、思い込みから自由になれます。
マインドフルネス瞑想をぜひやってみてください。
女である自分を女の目で見ない
女性が女性とうまくやっていくコツは「自分が女」にならないことです。
自分が女である限り女は敵になってしまいます。
当たり前ですが・・・・・
同じことは、自分にもあてはまります。
「私は女だから」「女なのに」と女目線で見ていると気づかない間にドロドロしてきます。
男性は、そこに女性らしさを感じないでしょう。
我慢していても徐々に関心も薄くなってきます。
女の目で見ないことで、人間性の否定することなく「これは女のパターンだ」とシンプルに仕分けできるようになっていきます。
そうすることで、解ってほしいの裏にある「自己否定」が軽くなります。
さらに、こんな場合「男ならどうする」と意識すれば女目線で見ることが減少して可能性が広がります。
禅で発見しょうとする「あるがままの自分(=無限の可能性のある自分)」が育っていきます。
いまここしかない
誰もが、いまここしかありません。
一瞬、一瞬に道を見つけるしかないのです。
一歩、一歩、歩くたびに小川の流れる音を止めます。
寂しさとは自分の声を聞いてくれる人がいないことが原因です。
わかってほしいのに、わかってくれる人がいない。とは、束縛されていることを表す言葉です。
自由になるには、我を忘れて、人の心を聴くようにします。
自分が聴いてほしいように、人の心を聴きます。
代わることはできないけれど、聴いてあげると寂しさから解放され自由になります。
塔の上のラプンツェル
ディズニーアニメ50作品目を記念して登場した「塔の上のラプンツェル」。
原作はグリム童話の『ラプンツェル(髪長姫)』でした。
物語の中で、ラプンツェルは、ティアラを盗み出した大泥棒フリン・ライダー(実はユージーン・フィッツハーバート)に魔法の髪の秘密を打ち明けます。
そして、フリンに彼自身のことをもっと話してと聞きたがります。
ラプンツェルはフリンから本名と彼の孤独な過去を聴きます。
ラプンツェルは孤児ユージーン・フィッツハーバートのことを自分のことのように聴きます。
そしてラプンツェルは「フリンよりユージーンが好き」だと言います。
フリンは「そんなこと、初めて言われた」と嬉しそうにいいます。
二人の恋が誕生した瞬間です。
人生に寄り添ったラプンツェル
ラプンツェルはフリンの気持ちに寄り添って聴いたので、誰もが気づかなかったフリンの真実に触れることができたのです。
ラプンツェルはお転婆で世間知らずですが、真摯な気持ちを持ち合わせていました。
ラプンツェルには愛されたい気持ちと同じように愛する気持ちがあったのです。
人は孤独ですが、だからと言って寂しいものではありません。
人は現れる前に現れています。去っていってもそこにいます。
ラプンツェルのひたむきさ(無限の可能性)に触れるうちに、二人の間に消えない絆ができた瞬間です。
寄り添って聴いたことで生まれた共感から誕生したのです。
まとめ
「本来空寂」・・・ほんらいくうじゃく
人は誰しも一人で生まれ、そして一人で死んでいきます。
だから誰しも寂しさを抱えています。
人は愛されたいと強く願います。
しかし愛する気持ちがあるから愛されるのではないでしょうか。
ラプンツェルのように、人としてのひたむきさから発信される無限の可能性に応えたいと思うから愛したいと思うのです。
ヒットドラマ「恋はつづくよどこまでも」も、ひたむきさでしたね。
他者と関わることはできても、代わることはできません。
家族も同じです。だから自分を忘れて愛するのです。
いきいきゴエス協会では、ひとりでも多くの人に、良い習慣を身につけていただくために、「スリープアスリート認定制度」を導入しました。