200年を生きる智慧|仏の愛『慈悲』と神の愛『慈愛』

ライフデザイン
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 アメリカンポップスで、慈悲をテーマにするのは珍しいと思いますが、マーヴィン・ゲイの名盤『What’sGoingOn』に<Mercy Mercy Me (The Ecology)>というおなじみの名曲があります。<エコロジー>という副題がついています。
どうしたの?」とさりげないアルバムタイトルは、1971年アメリ全土に衝撃となって走ります。

R&B史上ベストワンとも言えるアルバムから、セカンドシングルとなった<Mercy Mercy Me (The Ecology)>は神に慈悲を乞う楽曲でした。

マーヴィン・ゲイが「どうしたの?」と問いかけて51年が過ぎました。
どうして?解決されないのでしょう。
人間はそれほど愚かなのでしょうか?
人生200年時代に向かって時代は進んでいます。現時点の医学では120歳まで生きることは確認されています。まだまだ延命することは確実な勢いです。大切なのは、延命ではなく、どれだけ多くのヒトや生物を慈しんだのか。感謝なんて、子どもの涙の重さに比べたら。

解決されないのは、どうして?

Woo, ah, mercy, mercy me
Ah things ain’t what they used to be, no, no
Where did all the blue skies go?
Poison is the wind that blows from

The north and south and east
Woo, mercy,mercy, me, mercy father

Ah things ain’t what they used to be, no, no
Oil wasted on the ocean and upon our seas,
Fish full of mercury

おお、主よ、どうかお許しください
おお、すべては以前とは変わり果ててしまった
あの広い青空はどこへ行った?
毒が、風のように吹いてくる
北の地から、東から、南から

あぁ、どうかお許しください
あぁ、すべては以前とは変わり果ててしまった
大海原にも僕らの町近くの海にも石油が流れ
魚は水銀漬けです。

1971年に発表された<Mercy Mercy Me>は、慈悲を乞う歌です。
当時、日本で発売されたときの日本版アルバムタイトルは『愛のゆくえ』でしたが、内容はベトナムに派兵された弟に捧げられた反戦歌、更にアルバムを通じて貧困、警察の横暴、ドラッグ問題、児童遺棄、都市の退廃、秩序不安といった現代日本でも未解決のアメリカの社会問題がてんこ盛りでした。
What’sGoingOn』は慈悲のアルバムで、自分の外側から目を離し、もっと自分の内側に限りなく近づき寄り添うための歌です。環境を切り口にして解決しない社会問題(=怒り)を詰め込みましたが、自分の内面を見ないことへの怒りでした。ひとりの人間がやってのけた音楽の力です。ヒトは決してあきらめてはいけないのです。

異常気象を招いた私たち全員が歌うべき歌かも知れません。
一方で、「幼いころ、自分一人で生きるには他に頼らない」と決意した子どもたちがたくさんいます。愛着を求めて得られず、傷つきたくないために、幻想を描かないと決めた子どもたちです。私たち大人は魚たちに、子どもたちに、地球に何をしたのでしょう。
自分の外側から目を離し、もっと自分の内側に限りなく近づき、呼吸とひとつになって、ライフデザインをロードマップにして、ライフスタイルを変えて、ライフスキル、生きる力を磨いて、ライフプランがどうあるべきか、自分にできる最良のライフステージにすることが慈悲を乞うために必要な資格なのです。

マービン・ゲイの歌は続きます。

あぁ、主よどうかお許しください
あぁ、すべては昔と変わり果ててしまった
地中にも空にも放射能が溢れ
近くに住んでいた動物や鳥たちが死んでいる
どうかどうかお許しください
すべては以前と変わってしまった
この人口過密の世界はどうなるのだろう?
あとどれくらい地球は、人間からの仕打ちに耐えられるだろうか?
私の最愛の主よ
主よ、主よ

まず、子どもたちを孤立から救いましょう。愛着の絆を結び直すことからはじめます。距離を縮めることから始めるのです。ライフステージのビジョンをデザインして、エンドレスにワンダフルな人生を過ごすことが、慈悲への架け橋です。

 

慈悲と慈愛

慈悲と慈愛。
とも、『慈しむ』という言葉ではじまるので似ているように思いますが、かなり違いがあります。

「慈しむ」は平安時代に使われていた言葉”うつくしむ”が発端とされます。
時代の影響で「大切に祭る」という意味の「いつく(斎く)」へと連想され、結果として「いつくしむ」へ語形変化して生まれた言葉だと言われています。

平安時代、日本の気候には四季があり湿気が多いのが特徴ですが、寝殿造りは夏の強い日差しを遮り、湿気を留めないよう風を通し、四季の美しさを楽しむことを重視した上品で繊細な建築様式を採り入れていました。自然と調和して暮らす智慧が働いていたのですね。

じひ【慈悲】とは、辞書によると

1.情け。あわれみ。
2.仏・菩薩(ぼさつ)が衆生(しゅじょう)をあわれみ、苦を除き、楽を与えようとする心。

とあります。

おぞましい事件の報道に接すると、犯人に対して「慈悲のカケラもない」「なんて無慈悲な人だ」などという声を聞くことがあります。
反対に、困っている人、悲しみに暮れている人に、サッと手を差し伸べる人があれば「慈悲深い人だなぁ」と称賛します。
このように日常会話で、自然と口にする「慈悲」ですが、実は、仏教用語なのです。

「慈悲」は、「慈」の心と、「悲」の心に分けられます。
「慈」には、「苦しみを抜いてやりたい」という「抜苦(ばっく)」の意味があります。
「悲」には、「楽しみを与えてやりたい」という「与楽(よらく)」の意味があります。

衆生をいつくしみ、楽を与える慈と、衆をあわれんで、苦を除く悲の意。
「いつくしみ」は、愛情をもってかわいがること。「慈しみ」とも書き、つまり「慈悲」とは「抜苦与楽」を意味する言葉なのです。

抜苦与楽

水爆実験の因果で怪獣になったゴジラの被害から守る為、初期のゴジラを駆逐する場面に、慈悲の心が働く悲哀を何度も目にした方も多いとおもいます。エンタメであっても日本が生んだ怪獣映画には仏教のこころ<大慈悲>が息づいているようです。

慈悲には、仏教では、人間の慈悲を「小慈悲」といい、阿弥陀如来の慈悲を「大慈悲」といいます。

違いは、小慈悲が、平等ではなく、相手によって差がある限界のある慈悲であるのに対して、大慈悲では、すべてのヒトをはじめとする生き物に平等に注がれている限界のない変わることのない智慧ある慈悲をいいます。

<無明>に生まれたヒトが、悲哀を経験することで慈悲のこころを身につけて<自灯明・法灯明>の灯りを整えていく。灯りは智慧になり、世間に染まらずより大きな慈悲を自分の内部に灯し道を照らす、苦を抜き、楽を咲かせる智慧を身につけ世間を生き抜くことができる・・・『お釈迦様の哲学』ではないかと思います。

「慈悲」に似た言葉に「慈愛」があります。

「慈愛」は、仏教では使われることのない言葉で、キリスト教でよく使われます。
親が自分の子供に対するような深い愛情をいい、下の者や弱い者にめぐみや心をかけて優しくいたわり、大切にする心を指します。主に、親が自分の子供に対するような深い愛情を表すのに使われることが多い言葉です。

<愛着>に通じ、「優しさ・愛情深さ・恵み・大切さ」など、さまざまな意味を一度にイメージさせることができ、主イエス・キリストの愛を語るときにもよく使用されます。

「慈悲と慈愛」似ていますが、意味はかなり違います。現代を生きる若い世代が、自由で豊かな<ライフシフト>を目指す理由に、<ライフステージ>が自由で豊かな変遷でありたいと願う気持ちがあるのはもちろんですが、変遷する<ライフステージ>で出会う愛する者の行く末を案じ、守りたい、どうぞ幸せでありますようにと願わずにいられない「慈悲と慈愛」があります。

しかしゴジラやクマ、イノシシ同様に、私たちも苛酷さを受け入れるしかありませんです。その苛酷さを受け入れ、打ち勝つには、どれほど孤独で辛くても自分の内側に<灯り>求めるしかありません。

決して自分の外側に求めてはいけません。ともすれば自分の外側にばかり関心を持つヒトもいますが、外側には幻想のみがあるばかりです。少なくとも外側に求めてはいけません。依存の罠にハマる危険を避けるコツは「いま、ここ、この瞬間に」集中する没頭力(フロー)を身につけること。驚くなかれ、生まれる前から当たり前にしている「呼吸」を整えることです。

涅槃寂静

涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)』に集約されるように、究極の答えは内にあるのが、仏教の決定的な「哲学」です。

最近の子ども、若い世代からは、SNSの隆盛とは裏腹に「ヒトとつながるのが怖い」という声がよく聞こえてきます。

これは自己防衛をする上で、最強の選択肢として選んだ結果です。彼らは「幼いころ、自分一人で生きるには他に頼らない」と決意したのです。愛着を得ようとして思うような愛着が得られなかった悔しさが滲んでいます。恋をしても傷つかないように、自分が求めるのとは反比例して避ける。
いつでも繋がりが切れそうな安易な繋がりを求めて寂しさを紛らわしたくて事件に巻き込まれるプロセスには、苦肉の決意を踏みにじる慈悲のなさが浮かびます。

こうしたこども時代の戦略は概ね間違いなのですが、ヒトは呼吸同様に繰り返す習性があります。あり方は血となり肉となり、次世代に受け継がれます。人類は過去の間違いの本質を顧みず2500年前に説かれた<十二縁起>を<十二支>として受け入れながらも、本質繰り返してきました。

ブッダに学ぶシステム思考「十二縁起」
『無明(むみょう)』を、なくさない限り、親や先祖の『無明』が、子や孫へと受けつがれ、十二縁起によって、いつまでも、束縛やとらわれから、離れることも逃れられず、負の循環を継続して死に至ります。私たちはファイナンシャルプランニングを目標に、子や孫へ受けつがれるエンドレスにワンダフルな仕組みをご提案フォローします。

十二縁起とリカレント教育

ライフシフトの要である<リカレント教育>は、間違った思い込みを断ち切る魂と一体となって繰り返すことで、悟りが深まりキャリアアップ=人間力向上に結びつくものでなければななりません。

“recurrent” は形容詞で「再び、あるいは繰り返し、再現性、再発性というような意味です。再教育という趣旨で使用されているようです。
直訳、言葉で考えると誤解が生じやすく、イメージ全体でつかむ方が入りやすいと判断されて
するとがあるので、リカレント(recurrent)が使用されています。

リカレント教育(recurrent education)の本質は、思い込みを捨て、生活を再生する育てなおしです。だから単なる知識の詰め込みであってほしくないのです。
リカレント教育はアメリカなど先進諸国ではおなじみです。だから家族に及ぼす弊害についてもよく知られています。愛着の絆を結べなかった子どもをさらに傷つける可能性を含んでいます。慈悲・慈愛のこころを手離したリカレントではなく、慈悲・慈愛のこころを奪い返すリカレント教育であってほしいのです。

ライフステージ、ライフシフト、ライフプラン、ライフデザイン、ライフスキル、生きる課題と併せて「幼いころ、自分一人で生きるには他に頼らないと決意した」という言葉が、はたしてどのように整合するのか、見直しを図るプロセスでひとりでも多くのヒトが手を差し伸べるとともに、思い込みを是正してほしいものだと切に願います。

ティッピングポイントにたどり着くコツコツ心得5つのステップ
人生100年時代のコツコツは格別です。ライフプランを整える無形資産なしに金融資産を育むのはサーカスか手品のようです。無形資産の正体は「ライフスキル」です。テイッピング・ポイントに辿り着くライフスキルのひとつ「コツコツ」をマインドフルネスに育てるのがゲンキポリタンです。(一社)いきいきゴエス協会

まとめ

70年代前半、マーヴィン・ゲイが社会的なメッセージを歌った、後にも先にもたった一枚のアルバム『What’s Going On』。このアルバムの成功が黒人ミュージシャンの「自立」を後押し、70年代前半に「ニューソウル」というムーブメントとなって結実します。
『What’s Going On』のセカンドシングル “ Mercy Mercy Me (The Ecology) ” は、ポピュラー音楽史上最も環境に優しい悲しみの国歌のひとつと見なされるようになりました。環境を切り口にして解決しない社会問題(=怒り)を詰め込んだのです。ひとりの人間がやってのけた音楽の力です。ヒトは決してあきらめてはいけないのです。

人生200年時代に向かって時代は進んでいます。現時点の医学では120歳まで生きることは確認されています。まだまだ延命することは確実な勢いです。大切なのは、延命ではなく、いのちが、どれだけ多くのヒトや生物を慈しむためにあるのです。感謝なんて、子どもの涙の重さに比べたら。だから毎朝の清掃がはじまりなのです。

ライフシフトがときめく|般若の呼吸
般若の呼吸は「放下著(ほうげじゃく)」する呼吸。放下著とは、「放下」は手放す、投げ捨てるという意味で、「著」は助辞です。 「放下著」は「すべてを投げ捨ててしまえ」ほどの意味です。すなわち煩悩妄想はいうに及ばず、仏や悟りまでも捨て去る、すべての執着を捨て去れ、すべてを放下せよ!というわけですが、スムーズなライフシフトを支...

マインドフルネス実践講座