こんにちは、人生200年時代のマインドフルネスなライフデザイナー、ゲンキポリタン、Naoman-Minoruです。
慈悲とは「一切衆生」すべての生命に対して楽を与え、苦を取り除くことを望む心の働き。
自分と同じように、他者も苦しんでいるんだなと主体的に思うこと。その一例が『食事五観文(ごかんもん)』の実践です。食事五観文は食事に関する仏教の教え。
毎日、くつろいで、実践していたら、慈悲も育まれ幸せの邪魔になることに熱中してしまう癖も手放しているでしょう、
食事五観文と慈悲
一方で、テレビでは、どこも食べ物番組が氾濫、食べきれないほどの料理を食べる姿を放送して笑いのネタにしています。コマーシャルでは食べる音を気持ち悪いほど大きな音で伝えます。
世の中には、してはいけないこと、していいことがあります。
最古の恋愛小説「源氏物語」は、していいことではないから面白い。
それと先に述べたことは随分違うと思うのは私だけでしょうか?
美しいライフデザインのための自律をそれぞれの人生に投影したいですね。
煩悩を消そうとして新しい煩悩にしがみつく悪癖
慈悲が自然に起るときに勇気を感じて他の人にも響き安全・安心を感じます。
新しさに裏切られ続ける因果
人は酒に酔うように自分勝手な物語に酔います。
つまり物質的に豊かな社会に暮らす人も、そうでない世界に暮らす人も同じ苦痛、孤独を抱えているのです。
見透かされた餓鬼道
慈悲も慈愛もないTVは、いくら得ても満足できない餓鬼道の依存を見透かして収益にします。
限られた人だけに許された「権利」だから慈悲・慈愛を失ったテレビという装置はゴミでしかないと思うのです。
源氏物語はなぜ世界最高なのか
TVで見せる現代人の暮らし方、考え方は、なにからなにまで仏教の教えの反対だらけになっているのは、新しいことを見つけるために「法(=真理)」を破るのはもっとも簡単な手法なのでしょう。
源氏物語が高く評価されるのは、禁断の物語でありながら「法(=真理)」を下敷きにして、美しい文章で描かれているからだと思います。なんでも破れば良いとはいかないのです。
その違いこそが「法」と呼ばれる真理の本質ではないでしょうか?
食事五観文
雲板という鐘の音を合図に雲水たちが応量器という持鉢(食器)を各自が持って集まります。
食事の前には全員が『食事五観文(ごかんもん)』を読みながら応量器を並べます。
食事中に、音を立てること、言葉を発することは禁じられています。
食べていない人に妬み心を持たさない心遣い。妬みから罪を犯させない配慮。
一方、テレビは煽ることばかりしています。
自分の人格の完成を目指し、また自分の務めを成しとげるために食事をする。
自分と同じように、他者も苦しんでいると主体的に思うことです。その一例が『食事五観文(ごかんもん)』の実践です。
毎日、食事の都度に、肩肘張らず実践していると、慈悲・慈愛の心は育まれ、幸せの邪魔になることに熱中してしまう癖も手放しているでしょう。『食事五観文(ごかんもん)』を日常生活に組み込むために、一年考えた末、奮発して一生ものと決め込んで応量器を購入しました。
届いた応量器を見て、自分にはもったいないと思いましたが、開封したので自分用にして、今度は大切な人へのギフト用に自分のものより高級な応量器を購入しました。
洗えば洗うほど光沢が出てくる漆塗りのシンプルで美しい椀は、どちらも入れ子になっているので場所もとらず一生ものとしてミニマルライフに最適。マインドフルネスな食事を楽しんでいます。
餓鬼道の意味
餓鬼とはどれだけ得ても満足しない者。前述した餓鬼道とは餓鬼の世界。
過貧等(とがとんとう)を離るるを宗(しゅう)とす。の言葉、そのまま、不平や不満を抱かず、飲み過ぎ、食べ過ぎの貧る心を起こさないようにします。分かち合う心をどれだけ得ても満足しない餓鬼とシェアするのです。
餓鬼道とは、どこか別の世界にあるのではなく、自分の内側にあるのです。
マスクに象徴されるシェアする心
長いマスク生活に辟易するのは、みんな同じです。
しかし、自利利他を実践する心は、苦難を分かち合うために主体的にマスク生活を選びます。
意識していませんが、慈悲です。ひとりの慈悲は小さな慈悲でも、つなげば大慈悲になります。
疫病のすべての悲劇は餓鬼道の因果からはじまりますが、受け止め、止めるのは、ひとりひとりの慈悲の心です。
差別・偏見は餓鬼道で起ること。それを止めるのもひとりひとりの慈悲です。
まとめ
美しいライフデザインのための慈悲・慈愛を育みましょう。
美しいライフデザインは、あなたがあなたであるためのライフデザインです。
あなたがあなたであることは、決して簡単なことではありません。
心らかにくつろいでいればいいのですが、それがなかなかできません。
いつの間にか考えてしまい、幸せの邪魔になることに熱中してしまうからです。
慈悲とは、一切衆生、すべての生命に対して楽を与え、苦を取り除くことを望む心の働き。
つまり自分と同じようい、他者も苦しんでいるんだなと主体的に思うことです。
その一例が『食事五観文(ごかんもん)』の実践です。
毎日、くつろいで、実践していたら、慈悲・慈愛も育まれ、幸せの邪魔になることに熱中してしまう癖も手放しているでしょう。
是非、『食事五観文(ごかんもん)』を日常生活に組み込んでください。