美しいライフデザインのための慈悲・慈愛と食事五観文

こころデザイン
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こんにちは、人生200年時代マインドフルネスなライフデザイナー、ゲンキポリタン、Naoman-Minoruです。

あなたがあなたであるための美しいライフデザインの核は慈悲・慈愛。
慈悲とは「一切衆生」すべての生命に対して楽を与え、苦を取り除くことを望む心の働き。
自分と同じように、他者も苦しんでいるんだなと主体的に思うこと。その一例が『食事五観文(ごかんもん)』の実践です。食事五観文は食事に関する仏教の教え。
毎日、くつろいで、実践していたら、慈悲も育まれ幸せの邪魔になることに熱中してしまう癖も手放しているでしょう、
ここでは食事五観文の内容、食事五観文に秘められた深い慈悲の心をご紹介します。

食事五観文と慈悲

食事五観文を思うとき、飢餓を連想します。
毎日ユニセフの募金を募るTVCMがオンエアされています。
国内では、NPO団体が子どもたちにお菓子を配ったり、シングルマザーの家庭に支援をしています、
一方で、テレビでは、どこも食べ物番組が氾濫、食べきれないほどの料理を食べる姿を放送して笑いのネタにしています。コマーシャルでは食べる音を気持ち悪いほど大きな音で伝えます。
これって美しい光景でしょうか?
世の中には、してはいけないこと、していいことがあります。
最古の恋愛小説「源氏物語」は、していいことではないから面白い。
それと先に述べたことは随分違うと思うのは私だけでしょうか?
美しいライフデザインのための自律をそれぞれの人生に投影したいですね。

煩悩を消そうとして新しい煩悩にしがみつく悪癖

コロナ禍で仕事を失い、食べるものさえままならいことを報道しながら、どうなの?と思いますが放送倫理・番組向上機構という組織の脳には慈悲・慈愛の精神はないのかと思います。
慈悲とは心に自発的、主体的に備わった智慧です。
慈悲が自然に起るときに勇気を感じて他の人にも響き安全・安心を感じます。

新しさに裏切られ続ける因果

人は新しいことが好きです。新しいものを見つけると興奮し刺激を楽しみますが、やがて新しいことは当たり前に変わります。最初の興奮はすぐに消えてしまいます。
人は酒に酔うように自分勝手な物語に酔います。
結果は自分の愚かさを味わう羽目になり、さらに幸せから遠ざかり、自己否定感だけが近づきます。
つまり物質的に豊かな社会に暮らす人も、そうでない世界に暮らす人も同じ苦痛、孤独を抱えているのです。

見透かされた餓鬼道

慈悲も慈愛もないTVは、いくら得ても満足できない餓鬼道の依存を見透かして収益にします。
限られた人だけに許された「権利」だから慈悲・慈愛を失ったテレビという装置はゴミでしかないと思うのです。

源氏物語はなぜ世界最高なのか

TVで見せる現代人の暮らし方、考え方は、なにからなにまで仏教の教えの反対だらけになっているのは、新しいことを見つけるために「法(=真理)」を破るのはもっとも簡単な手法なのでしょう。

源氏物語が高く評価されるのは、禁断の物語でありながら「法(=真理)」を下敷きにして、美しい文章で描かれているからだと思います。なんでも破れば良いとはいかないのです。

その違いこそが「法」と呼ばれる真理の本質ではないでしょうか?

食事五観文

禅、仏教では、禅では厳しい食事の作法があります。
雲板という鐘の音を合図に雲水たちが応量器という持鉢(食器)を各自が持って集まります。
食事の前には全員が『食事五観文(ごかんもん)』を読みながら応量器を並べます。
食事中に、音を立てること、言葉を発することは禁じられています。
食べていない人に妬み心を持たさない心遣い。妬みから罪を犯させない配慮。
一方、テレビは煽ることばかりしています。
食事五観文(ごかんもん)』は作法の心得を集約したもの。
1 一つには、功の多少を計り、彼(か)の来処(らいしょ)を量る。
食事にはいかに多くの人の手数と労力が費やされているか、その経緯、苦労を思い、天地自然の恩恵を忘れてはならない。
2 二つには、己が徳行の全欠をはかって供(く)に応ず。
自分が食事にふさわしい徳をしたか?資格があるのか?
自分の人格の完成を目指し、また自分の務めを成しとげるために食事をする。
3 三つには、心(しん)を防ぎ、過貧等(とがとんとう)を離るるを宗(しゅう)とす。
食べ物に対して好き嫌い、量が多い少ないなど不平や不満を抱かず、飲み過ぎ、食べ過ぎの貧る心を起こさないよう、食事は心の修行である。
4 四つには、正に良薬を事とするは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。
食事は、飢えや渇きをいやし、心身の枯死を免れる良薬と思って、決しておろそかに食べないという心、平和な心持で食する。
5 五つには、道業(どうぎょう)を成(じょう)ぜんが為に、応(まさ)に此の食(じき)を受くべし。
人として正しく生きることを成就するための食事であることを自らに宣言して、反省と感謝の心を持ち行うこと。
慈悲とは、一切衆生、すべての生命に対して楽を与え、苦を取り除くことを望む心の働きです。
自分と同じように、他者も苦しんでいると主体的に思うことです。その一例が『食事五観文(ごかんもん)』の実践です。
毎日、食事の都度に、肩肘張らず実践していると、慈悲・慈愛の心は育まれ、幸せの邪魔になることに熱中してしまう癖も手放しているでしょう。『食事五観文(ごかんもん)』を日常生活に組み込むために、一年考えた末、奮発して一生ものと決め込んで応量器を購入しました。
届いた応量器を見て、自分にはもったいないと思いましたが、開封したので自分用にして、今度は大切な人へのギフト用に自分のものより高級な応量器を購入しました。
洗えば洗うほど光沢が出てくる漆塗りのシンプルで美しい椀は、どちらも入れ子になっているので場所もとらず一生ものとしてミニマルライフに最適。マインドフルネスな食事を楽しんでいます。

餓鬼道の意味

餓鬼とはどれだけ得ても満足しない者。前述した餓鬼道とは餓鬼の世界。

過貧等(とがとんとう)を離るるを宗(しゅう)とす。の言葉、そのまま、不平や不満を抱かず、飲み過ぎ、食べ過ぎの貧る心を起こさないようにします。分かち合う心をどれだけ得ても満足しない餓鬼とシェアするのです。

餓鬼道とは、どこか別の世界にあるのではなく、自分の内側にあるのです。

マスクに象徴されるシェアする心

長いマスク生活に辟易するのは、みんな同じです。
しかし、自利利他を実践する心は、苦難を分かち合うために主体的にマスク生活を選びます。

意識していませんが、慈悲です。ひとりの慈悲は小さな慈悲でも、つなげば大慈悲になります。

疫病のすべての悲劇は餓鬼道の因果からはじまりますが、受け止め、止めるのは、ひとりひとりの慈悲の心です。

差別・偏見は餓鬼道で起ること。それを止めるのもひとりひとりの慈悲です。

まとめ

美しいライフデザインのための慈悲・慈愛を育みましょう。

美しいライフデザインは、あなたがあなたであるためのライフデザインです。
あなたがあなたであることは、決して簡単なことではありません。
心らかにくつろいでいればいいのですが、それがなかなかできません。
いつの間にか考えてしまい、幸せの邪魔になることに熱中してしまうからです。

慈悲とは、一切衆生、すべての生命に対して楽を与え、苦を取り除くことを望む心の働き。
つまり自分と同じようい、他者も苦しんでいるんだなと主体的に思うことです。
その一例が『食事五観文(ごかんもん)』の実践です。
毎日、くつろいで、実践していたら、慈悲・慈愛も育まれ、幸せの邪魔になることに熱中してしまう癖も手放しているでしょう。

是非、『食事五観文(ごかんもん)』を日常生活に組み込んでください。