高倉健さんの遺作「あなたへ」は素敵な映画です。
無言の背中に、語らずして人生の悲哀を表現する、圧倒的な存在感で日本映画界を代表する高倉健。
「あなたへ」では、草彅剛さんがイカメシ屋の出張販売員の役で出演していますが、噛めば噛むほど味が出るスルメのような映画です。
公開後の12年10月に他界し、撮影中に健さんがその演技に涙したという本作が遺作となった大滝秀治さんは、第36回日本アカデミー賞(13年3月発表)で最優秀助演男優賞を史上最高齢で受賞。また、重要な役を演じきった余貴美子さんも最優秀助演女優賞を受賞した。主演した健さんは優秀主演男優賞を「若い人に譲りたい」との理由から辞退しました。
監督は「駅 STATION」(1981)、「居酒屋兆治」(1983)「夜叉」(1985)、「あ・うん」(89)、「鉄道員」(99)などを高倉健と共に生み出してきた降旗康男監督が、日中合作「単騎、千里を走る」以来6年ぶりの健さんを終始気づかいながら過去のどれとも違う名作に仕上げ、モントリオール世界映画祭で特別賞を受賞した作品です。
「さようなら」と「ありがとう」
静かな映画ですが、ヒトのあり方を描いて壮絶な映画です。原作はなく高倉健のために書かれたオリジナルです。
映画の終盤。平戸の薄香郵便局で健さん(英二)が上司である塚本(長塚京三)宛に退職届を投函します。
手紙には、この映画で伝えたかった健さんの気持ちが封入されたのではないでしょうか。だとしたら遺作となった「あなたへ」のあなたとは、そうあなたです。
映画「あなたへ」は、実にみごとな映画です。
ひとり自分を残して、妻に先立たれた男が、妻の遺言を叶えるために富山から1200Km離れた長崎県平戸の海まで散骨に行くロードムービー。
主人公、高倉健が、旅の途中で出会う人々として、集結したのは、ビートたけし、佐藤浩市、草彅剛、余貴美子、綾瀬はるか、三浦貴大、大滝秀治、長塚京三、原田美枝子、浅野忠信、妻役の田中裕子、そして山頭火と宮沢賢治。それに風鈴と立山連峰。
高倉健の遺作に集まった面々は、どなたも主役で一本撮れる面々だが、客寄せパンダでなく、テーマに深く関わっているのが映画として素晴らしい。
物語
富山刑務所の指導技官・倉島英二(高倉健)のもとに、ある日、NPO法人遺言サポートの会(富山県行政書士協会所属行政書士)から亡き妻・洋子(田中裕子)の絵ハガキが届く。そこには、一羽のスズメの絵とともに”故郷の海を訪れ、散骨して欲しい”との想いが記されていた。そして、もう1枚は、洋子の故郷・長崎県平戸市の郵便局への”局留め郵便”だった。ここで受け取れないのかと怪訝な表情で尋ねる英二。目の前にある手紙をわざわざ平戸まで受け取りに行く理由がわからない。
故人の希望なのでと拒否する行政書士。その受け取り期限まで、あと10日しかないという。
生前、刑務所に歌手として慰問にきていた洋子とは穏やかで幸せな夫婦生活を営んでいた。なぜ、自分にダイレクトに言わずに、NPO法人遺言サポートの会を通じてくるのか?英二は「自分はなんだったのか」と悩みながら、洋子との出会いを振り返る。
時の流れを止めるな
英二が竹田市の天空の城の音楽祭に出演していた洋子のもとを訪問したとき。洋子はb舞台で宮沢賢治の「星めぐりの歌」を歌っていた。
天空の城で洋子は英二に告白します。
実際は慰問ではなく、たったひとりのために富山刑務所に来ていたが二年前に刑務所内で死亡したと英二に告げる。いまとなっては歌うことも嘘でしかない、今日で歌うのをやめようと思うと英二に打ち明ける。
英二は洋子にいう。
「あなたのなかでは、流れているはずの時間が止まっています。忘れられていいんじゃないですか。そうじゃないと、あなたの時間が止まってしまう。」
この二人のやりとりの場面で、ベルギー出身のジャズハーモニカ奏者、トゥーツ・シールマンスの楽曲が流れます。これは、降旗監督が健さんと田中裕子が初共演した「夜叉」で演じた修治と螢のイメージを持ち込んだそうです。
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
(宮沢賢治「星めぐりの歌」)
英二は思い出を振り返りながら、その受刑者が木工所で倒れたとき部屋の整理をしていたときのことも思い出していた。受刑者の部屋にあった「すすめの絵葉書」が記憶にあった。
自分宛のスズメの絵が描かれた絵葉書を今日、行政書士から受け取ったのだ。長く連れ添った妻とはお互いを理解し合えていたと思っていたが、 妻は生前になぜ散骨を希望していることを伝えてくれなかったのか.。妻の真意を知るため、英二は彼女の故郷を訪れることを心に決める。
妻の故郷を目指すなかで出会う人々と心を通わせ、彼らの家族や夫婦の悩みや想いに触れていくうちに洋子との心温かくも何気ない日常の記憶の数々が蘇る。
映画は平戸に近づくほどに、謎が解かれていく。
放浪と旅の違い
キャンピングカーで日本国中を放浪する杉野(ビートたけし)に英二は平戸へ行く理由を話す。元国語の教師だったという杉野は、放浪の俳人・種田山頭火を諳んじていて「放浪と旅の違いは目的があるかないか」です。芭蕉と山頭火の違いだで、「旅は帰るところがある」とも教える。
関門海峡を見渡せる下関市の展望台で、「帰るところがなくなったのなら放浪したらいいじゃないですか」と山頭火の本『草木塔』を英二にプレゼントする。『草木塔』は、第一句集から第七句集(私家版)までを集成した一代句集だ。
お墓の意味は人生の数だけある
旅が無事に進んでいるかと案じる、現在の上司である塚本(長塚京三)は、妻の久美子(原田美枝子)に「僕は散骨なんていやだな。お墓がないのは寂しい。」と本音をもらす。英二と同じく子どものいない久美子には、洋子(田中裕子)の気持ちが解っているようだった。
その頃。英二は、下関で、すでに京都、大阪で共に過ごした時間を共有したいかめしやの販売員。南原(佐藤浩市)、田宮(草彅剛)と落ち合っていた。ここで英二は、南原に平戸に行く理由を告げる、南原が「散骨の船が必要ならここへ連絡してみたら良い」と連絡先を教える。一方、田宮は英二に相談したいことがあるという。田宮は妻の浮気に悩みながらも切り出せないでいた。
沈黙の意味
平戸に着いた英二は、漁協の役員(石倉三郎)に散骨の協力依頼するが断られる。薄香の港で食堂を営む濱崎多恵子(余貴美子)・奈緒子(綾瀬はるか)母娘に知り合う。ふたりは海難事故で夫(父)を失っていた。南原(佐藤浩市)が散骨の船を頼んでみなさいと教えた相手が、綾瀬はるかの恋人の祖父である漁師・大滝吾郎(大滝秀治)だったので、頼みに行くが断られる。
絵葉書一枚を頼りにここまできたというだけで十分です
多恵子親子の親身な親切に癒される英二は、妻の想いが解らないと苦しみを打ち明ける。
「夫婦だからって全部分かり合えることはない。雀の絵に散骨してほしいと書いた遺言の絵葉書一枚を頼りに生まれ故郷まできたというだけで十分じゃないでしょうか。台風が過ぎたら、きっと奥さんを海に返してあげられますよ」と洋子の心情を代弁して励ました。
自分に迷いがあることをご存知なんだと思います。
大滝に断られた英二は、翌朝、薄香を散歩する。
古びた写真館のウィンドウに洋子の子ども時代の写真を発見する。
「ありがとう」という英二。
「さようなら」だけを書いたカードを受け取るために1200キロを走らせた洋子の気持ちへの感謝だった。
多恵子に背中を押され、子ども頃の洋子に触れてた英二には洋子の想いの点と線が理解できていたようだ。季節外れの風鈴とは洋子だった。
寡黙はなにより雄弁だ。
雀のように、鳩のように
そして海を見ている灯台に向かって、遺言の葉書と雀の絵の横に「さようなら」と、たった5文字のカード。2つのカードを空に雀が飛び立つように手離す英二。
2枚のカードは、雀のように、鳩のように羽ばたき、海に向かっていく。美しい。
解っていることを形にする必要はない
散骨の前夜、多恵子が英二の元に夕食を届けにやってきます。
英二に奈緒子のウェディング姿の写真を手渡し、こう言います。
『お願いがあります。海に流してください。(海難事故で死んだ)主人に届くかもしれないから。』
映画はここからノンストップで人生を滑走します。
花束に秘めた想いを受け取る英二
散骨の朝、「母さんが・・・」と、花束を届けにくる奈緒子。
「ありがとう」深々と頭を下げて受けとる英二。
たったそれだけのなんでもないようだけど素晴らしいシーンです。
花束の意味を英二は知っている。
このように生きていきたいと思わずにいられない。
久しぶりに、きれいな海ば見た
「出發!」・・・最優秀助演男優賞を史上最高齢で受賞した大滝秀治さんが「遺作」にふさわしく素晴らしい。
海に出て、「ここらでよか」船を停める。
風呂敷を噛み締めて、涙が出るのを我慢しているように見える英二。
やがて、散骨を終えた海を照らす、だるま夕日が美しい。
あなたにはあなたの時間が流れている。
散骨を終えて、薄香の港にひとり佇む英二の脳裏に、「季節外れの風鈴の音ほど悲しいものはない。」と笑っていた洋子が浮かぶ。「あなたにはあなたの時間が流れている。あなたの季節を大切にしてほしい。」と風鈴の音が聞こえる気がした。
高倉健(永久保存版)(文藝春秋)
山本周五郎の本を持ち歩いていた健さんがペンダントにして胸につけていた言葉があります。
閑(かん/ひま)に耐え
激せず、躁(さわ)がず
競わず、随(したが)わず
以て事を成すべし。
漢詩を日本語にしたものです。
耐冷 耐苦 耐煩 耐閑
不激 不躁 不競 不随
以成事
中国・清朝末期の曽国藩(そうこくはん)(1811年~1872年)という著名な政治家・軍人が遺した言葉だそうです。「四耐四不訣(したいしふけつ)」という漢詩で、事を成すために、耐えるべき4つのこと、してはいけない事4つを述べています。
耐冷/冷は冷ややかな目を表し、冷たい仕打ちや誤解に耐えるということ。耐苦 /苦に耐えるは、文字通り苦しいことに耐えること。人は様々な苦を体験します。耐煩/煩に耐えるは、忙しさや煩(わずら)わしいことに耐えること。耐閑/閑に耐えるは、暇に耐えることです。事を成そうとするなら、事のない時期をどうすごすか問われます。これらのことに耐え、不激/つまらないことに腹を立てず、不躁/ものごとが上手く運んでも調子に乗らず、不競/よけいな競争をせず、不随/かといって何でも言いなりになってはいけない、以成事/事を成すために耐えるべき戒めです。
一方。現代人の多くは四耐四不訣を気にもしないで短絡的に我欲に走りがちです。
- 些細なことで激高する
- 後先を考えず、人の命を粗末にする
- つまらないことに騒ぎ立てるジャーナリスト
- 自分さえ良ければ良い、としか思えぬ行動を平然と行う。
「あなたにはあなたの時間が流れている。あなたの季節を大切にしてほしい。」と風鈴の音が健さんの生き方に重なって、立山連峰から運んでくるような場面です。
”バラクータG9”なら日本では健さん
翌朝、英二は、ベージュのバラクータG9を黒のバラクータG9に着替えている。昨日の英二と違うのは、洋子と約束したからだと推測する。君の言うように僕は僕の時間に一歩踏み出す。そのあとのことは解らないが、歩いて行くよ。悲しみを胸に一歩、前に踏み出す英二。
健さん主演、倉本聰書き下ろしのTVドラマ「あにき」の時もバラクータG9(1970年モデル)を着ていた。その時の役名が、代々続く“とび職”の組頭・栄次だった。
いまでも男性に根強い人気のバラクータG9だが、着こなしのお手本では、日本では健さん、欧米ではスティーブ・マックイーンが双璧。着こなし術が微妙に違う。
このみちや いくたりゆきし われはけふゆく
朝、薄香の郵便局から退職届を送った英二は、田宮や南原がイカめしの催事をしている下関に向かう。
「帰るところがなくなったのならまた探せばいいじゃないですか」杉野の言葉が胸にあるのかも知れない。
店の前から消えたワゴン車を思い浮かべて祈るように、いまはいない英二を見送る多恵子。
下関の港でイカめしの販売に精を出す田宮の姿を見つめていた英二は歩き出す。
このみちや いくたりゆきし われはけふゆく
種田山頭火
山頭火の句が、映画を締めくくり、健さんの背中が進んでいきます。(拍手)
この道を多くの人、多くの人生が行き交っている。
そして私は今日もまた、この道を、自分の人生を歩くのだ。
孤独であり、寡黙な理由
2012年制作だから早いものでもう10年が過ぎた。高倉健の遺作でもあるが、実は前作『単騎、千里を走る』の後、手術を受けている。体調を整える期間があり、心身ともに気力が回復するのを待ち、取り組んだ作品です。撮影しながら、あと一本撮れるかな、撮りたいと思われたのかも知れません。
特にラストシーンで見せる、そのカッコよさ、発信力に、宮沢賢治も山頭火も、霞んでしまいます。健さんが宮沢賢治に山頭火になりきったからでしょう。
思うに。。。
それぞれが自分の道を歩けるように、ヒトはみんな孤独であり、寡黙なのだ。
そう考えると、なにがあっても平気になれそうな気分になる映画です。