こんにちは、人生200年時代のマインドフルネスなライフデザイナー、ゲンキポリタン、Naoman-Minoruです。
自分の食事の作法に「禅宗」の教えを取り込んでいくと、不思議にもずいぶん幸せな気分になっていきます。
禅寺では食べ方を体験できるので、機会があればおすすめします。
喜心・老心・大心の三心
食で重要なことは、何を食べるかより、「どのように食べるか」ではないでしょうか?
さらに、「どのように用意するか」ではないかと思います。
食事を作る心に「三心」という教えがあります。
「喜心・老心・大心」です。
「男子厨房に入るべからず」世代と、現代の風潮とでは台所仕事に対する意識がずいぶん異なりますが、禅寺では台所仕事は特別な仕事(修行)とされています。
「喜心」というのは巡り合わせを喜び感謝する心。
「老心」とは、親が我が子を思う心です。水やお米を見るにつけても、我が子を養う気持ちをもって調理する心。一般にいう「老婆心」です。
「大心」とは、分別せず偏らない心です。山の如く高く大きな不動心、海のように広くゆったりした深い心を意味します。
歪んだメンタルモデルを正す食事
「喜心・老心・大心」は相互依存の関係にあります。
つまりバランスです。
どれかひとつだけ突出してもメンタルモデルが歪んでしまいます。
過った因果の連鎖を生んでしまいます。
老心が偏ると、気づきもないままに、我が子を食い殺してしまいます。怖いですね。
「大心」に至る心はバランスです。
バランスを整える支援をしているのが食べる作法です。
食べることは「喜心・老心・大心」の実践です。禅では「洗鉢」にあたります。
「洗鉢」で知る、終わりは始まり
「洗鉢」終わりは始まりは、食べ終わった自分の腕に湯をそそいで漬物等で内側を洗い、その湯も飲み干して全てを食べ尽くすという禅宗の食事作法です。
文章だと汚いと感じるかもしれませんが、実際にやってみてください。
心が洗われる気持ちになります。
そのためには食材が影響します。終わりは始まりなのです。
「三つの心」で作り、いただくようにしていると、今の世、パンデミックをはじめ万事、都市伝説のように思えてきます。
まとめ
持続可能な社会(SUSTAINABILITY)という言葉がしきりに使われるようになりました。
禅は古くから持続可能な社会(SUSTAINABILITY)を実践してきました。
禅では道理を大切にします。「因果」つまり原因と結果には、道理があります。
道理を外れると、たとえば持続可能な社会(SUSTAINABILITY)を標榜しないといけなくなります。
プラスチックごみ、エコバック・・・
分別せず偏らない心「大心」は、美味しい、不味いと分けません。
不味いものでも美味しく食べられる工夫をする。工夫に道理が潜んでいます。
食べものを残して捨てる・・・すると虫が寄ってきます。ここに「因果」があります。
食べたものは洗っておいしく飲み込む。経済的だし手間もかかりません。これも「因果」です。
どうりで、おいしい。
ライフデザインに取り入れたいあり方ですね。