マトリックスワークブック『汝、自身を知れ(Temet Nosce)』

マトリックスワークブック マトリックスワークブック
この記事は約7分で読めます。

マトリックス

仮想空間に生きているロシア国民。他国を観て、自分たちも気をつけないと。
 
映画「マトリックス」は20年前に仮想空間の恐怖を語っていました。
「マトリックス」を観て、「人生が変わった」あるいは「変えなければいけない」と感じた人が少なくないのはなぜでしょう。
 
「マトリックス』シリーズ第1作の「マトリックス」では、ネオが預言者オラクルの部屋を訪ねますが、オラクルの部屋の壁に「汝、自身を知れ(Temet Nosce)」という文字が掲げられています。仮想空間から脱出するヒントがこめられていました。

あなたも私も、愉しく、よりよい人生を過ごすために貴重なヒントを探ってみましょう。

「汝、自身を知れ(Temet Nosce)」

汝、自身を知れ

「汝、自身を知れ(Temet Nosce)」を見て思い出すのが、道元禅師(1200-1253)の主著といわれる『正法眼蔵(しょうぼうげんそう)』です。

『正法眼蔵」は、75篇の短い文書より構成されています。それらのなかでも、「現成公案」は、古来、道元の思想を最もよく表わすものとして、大切にされてきました。

仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せられるなり。
万法に証せられるといふは、
自己の身心
および他己の身心をして脱落(とうらく)せしむるなり。                                      道元「正法眼蔵」「現成公案」

この言葉は、この「現成公案」からの引用ですが、仏道を修行してゆくうえで、重要な視点を示しています。

現代語に訳すと、次のようになります。

仏道をならうというのは、自己をならうことである。
自己をならうというのは、自己を忘れることである。
自己を忘れるというのは、天地宇宙の一切のもののはたらきによって証り(さとり)がわが上に現れることである。
天地宇宙の一切のもののはたらきによって証(さとり)がわがうえに現れるというのは自他の身心をしてそっくり束縛から脱せしめることである。
僧侶が仏道を習うのは当然として一般人に必要なことでしょうか?

汝、自身を知れ

仏陀がめざした「四諦」の解決

答えはイエスです。
仏陀が仏道を歩んだのは「四諦」の解決です。
四諦(四聖諦)とは、苦諦、集諦、滅諦、道諦の4つの基本的な課題のことなので、仏道を習うのは、人生を習うと言っても過言ではないのです。

①苦諦(くたい) – 迷いのこの世は一切が苦であるという真実
②集諦(じったい) – 苦の原因は煩悩・妄執、求めて飽かない愛執であるという真実
③滅諦(
めったい) – 欲望を脱し無執着になり苦しみが消滅した涅槃の境地こそ理想と説く真理。
④道諦
(どうたい) – 悟りに至るには八正道の実践という真実。

仮想世界とは、苦諦(くたい) 、集諦(じったい)にいる世界。
苦諦、集諦にいることさえ解らないのが、煩悩の世界にどっぷりつかった状態のこと。

仏陀は、苦諦、集諦から覚醒するために滅諦(めったい)道諦(どうたい)という真理を説きました。真理を日常生活に陥し込んで、暮らす大切さを説いたのです。

「覚り(悟り)」とは、遠い何処かにあるのではなく、自分の手元にあるということであり、日々の食事や掃除、仕事のなかにあることに気づくように親代わりとなって指導されたのです。仏道に生きるということが禅なのです。

いまを生きる私たちにとって、大事なのは、仏教でもキリスト教でもありません。
自分が主体となって、いま。ここ、この瞬間を愉しく自由に生きることです。
それが『マトリックス』のメッセージでもあるのです。

「マトリックス」で人生が変わった

トレーニング

自由に生きるとは、好き勝手ということではなく、「自律」して全宇宙を体験して生きることです。自律とは、自分で規範、ルールを定めて、遵守して暮らすことです。

『マトリックス』シリーズを観て、「人生が変わった」あるいは「変えなければいけない」と感じた人が少なくないのは、自分以外の価値観に囚われていることへの危機感を通じて、「仮想世界」への認識を深めたからだと思います。

映画と違ってドンパチするわけではありませんが、「仮想世界」の存在を感じたのは他者の価値観を生きている日常に、気づくからではないでしょうか。

仮想空間から、他者の価値観に生きる現実に戻すポイントは、煩悩とのつきあい方です。

そもそもプッダにはでき上がった形の「仏教」などありませんでした。
彼は、ただインドの大地で、自由に学び、自由に生きていただけで、そのプロセスで「目覚めた人」になりました。

自律することを楽しみ、自由に生きながら、日々の限想で自分を観察することで覚りを深め、自然や人々との出会いを通して、宇宙からのテレパシーを楽しみを体感しながら、一生を修行に投じた「学ぶ人」でした。学ぶことは究極のエンタメでした。

そんな彼の姿を見て、「自由だな」「面白そうだな」と惹かれた人たちが彼の周りに集まってきたことから、自然発生的にサンガ(僧伽・修行者の共同体)ができていったのです。

それは、仏陀(ブッダ)の学びを手本にして生きようとした人たちの集まりでした。
『マトリックス』って難解だけど面白そうだな。」と思った人々と同じノリでした。

仮想空間の原動力=煩悩

煩悩に取り込まれたサイファー(レーガン)

慈悲の邪魔をするのが、煩悩です。
煩悩は執着が動機となってどんどん強くなります。
「マトリックス」シリーズ第一作では、煩悩に取り込まれて、仲間を裏切るサイファーが際立っています。私たちもエラそうなことは言えません。

煩悩は、逃げようとすればするほど煩悩の砂地獄に陥るか、捨てようと捨てようと思えば絡め取られます。

実世界から、マインドフルネスから遠ざけて、無意識にる「マトリックス」に誘い込む仕組みに打ち克つには、三蔵法師がインドから持ち帰った経典「唯識」あるいは「心理学」に匹敵する理解が必要です。しかし、一般人には難解ですが、簡単に理解できる方法が「禅」です。

禅(禅宗)は仏道を習うトレーニングとして開発されました。
マインドフルネスは、仏陀が説いた道諦(どうたい)」すなわち八正道のカリキュラムのひとつです。

6大煩悩

ブッダに学ぶシステム思考「八正道」
100年時代のエクスプローラー期(=自分発見期間)に自分がやりたいことを見つけると、時間が有効に使えて自分の人間力、スキル獲得に集中・継続できます。 「八正道」は「三十七菩堤分法」のひとつです。 「三十七菩堤分法」とは、お釈迦さまが入滅され
「マインドフルネス」のルーツ「八正道」で集中力をアップする
物事にはかならず「原因」があります。しかし歪んだ目で見ていては「正しい原因」を捉えることは困難です。正しい原因を捉えるには、自分のあり方を正さすことが先決です。四諦は、そのことを言ってますが、「八正道」の実践があって、四諦が理解できます。マインドフルネスが自分を育むます。マインドフルネスは生活の全ての場面で人間力を高め...
マインドフルネスへの道「八正道」でマスターする「マインドフルネス研修」
100年を六大煩悩まみれで生き抜いた私だからできるマインドフルネス実践講座をご紹介します。八正道には、四正断、四念処、四如意足が含まれているので、八正道を修行すると必然的に、四正断、四念処、四如意足もトレーニングします。八正道のマスターは、意識して正しいと思われる行動を取ることからスタートします。
一切皆苦を背負って四諦・八正道で4つの真理をマインドフルネスに自灯明
仏教は4つの真理のひとつ「一切皆苦」が出発点です。ブッダ最初の説法が四諦(したい)ですが、四諦にたどり着く具体策として「八正道」を説かれました。「八正道」は良い縁を生起させるプログラムです。マインドフルネスもここから誕生します。マインドフルネスが物語るように仏教は拝むものではなく、身体で実践する教えです。マインドフルネ...

仮想空間から抜け出るマインドフルネス

八正道

プッダの教えより、プッダの人生そのものを見れば、私たちはもっと自由に、なにより楽しく生きていいことがわかります。

もっとも重要なことは、言葉に依存せずに自分を信じたらいいのです。信じることでマインドフルネスな状態になれます。

マインドフルネスな状態とは、対象になりきることです。
食事中なら、食事になりきること。掃除中なら掃除になりきりこと。仕事中なら仕事になりきること。没頭した状態に自分があることが「マインドフルネス」です。瞑想することがマインドフルネスではありません。深く没頭した状態の食事なら食材そのもの、食材に関わる人々そのものと、マインドフルネスのなかで出会いなりきります。

  • 禅とはなにか・・・なりきること
  • 瞑想とはなにか・・・なりきるための行為。
  • マインドフルネスとはなにか・・・なりきった状態。

ところが、普通に暮らしていると周囲の環境もそうだし、自身も言葉で考える癖から離れられないので、マインドフルネスな状態になれず、煩悩に苦しみ仮想世界に追いやられます。

汝、自身を知れ

汝、自身を知れとは「なりきること」です。
なりきるとは、自己をわすれることです。

仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せられるなり。
万法に証せられるといふは、
自己の身心
および他己の身心をして脱落(とうらく)せしむるなり。                                                           道元「正法眼蔵」「現成公案」
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
「無我」の状態です。

まとめ

仏陀は、「無我」であるために無を言葉にすると、無我でなくなると説いています。
「空」も同じです。
言葉が限界を作り、仮想空間に誘い込みます。
本当は見えることが見えないものに触れています。
聴こえることが聴こえないことに触れています。
自分を万倍にも素敵にする何かが、実は見えないもの、聴こえないことに含まれています。
道元禅師は、瞑想によって、解脱したら仏陀を悟ることができると説きました。目に見える自分はひとりですが、宇宙の自分には、100人の自分、1000人の自分、一兆人の自分が・・・存在しています。
ようこそ、仏陀の宇宙へ。

マインドフルネス実践講座

ブッダに学ぶエンドレスにワンダフルな暮らし方
マインドフルネスとは、なりきった状態のことです。瞑想とは、なりきるための行為です。禅とは、なりきることです。なりきるための自分の扱い方の心得が、「空」であり「無我」です。なんのためになりきるのか?いま、ここ、この瞬間を、最高に楽しく暮らすためです。大切なのは、ブッダのように自由に楽しく暮らすことです。
物価高でもいままで以上に優雅な食事をする方法
「物価高でもいままで以上に優雅な食事をする方法」思う以上に簡単です。食に対する「あり方(価値観)」を変えるだけで何倍も優雅になります。マインドフルネスとは、なりきった状態のことです。食事という行為そのものがマインドフルネスなのです。後片付けも含めて「食事」です。
わかる!「阿頼耶識縁起」を知って暮らしに役立てる
お釈迦様はことの善悪の判断は、その行動が相手、第三者にどのような影響を及ぼすかで評価するとされました。つまり良識の基準です。良識を無視した自由はないというのが自由の定義です。阿頼耶識には善悪の区別なくあらゆる可能性が潜んでいます。可能性とは「気づき」のことで、気づきを体現することが、太古の昔からいまもあなたの心臓を動か...
3大質問で知るマインドフルネスな「もともとのいのち」トリセツ
エンドレスにワンダフルに生きるための大基本である『私は誰?」「なぜここにいるの?」「どのように生きればいい?」3つの質問から、「私は誰?」自分の物語に入ると、子どものようの、いまここにいまここになりきって過ごすことで、執着心、愛着を知る前の「もともとのいのち」を生きることができます。
「もともとのいのち」を「無分別智(むふんべっち)」で守る
毎日押し寄せるマインドトーク(心の雑念)を遮断して、放置すれば雪だるま式に増幅する執着の負のトライアングルを断ち切り、本来の状態に戻すのが清浄な智慧である「無分別智」で焼き尽くすことです。自と他と行為との三つを分別せずに、現にあるもの、たとえば食事の準備、清掃など目の前にある対象になりきる(マインドフルネス)のです。
縁起でマトリックスな世界をマインドフルネスで是正、本性強化
子どもと違い、大人は縁起で自分が作り出した物語で生きています。発端は1.5歳までに決意した対人関係の構え。根本執着心となり、これを繰り返し使えば正しい認知が不可能になります。このままでは自由で豊かな100年ライフを生きることは困難になります。マインドフルネスが縁起の人生脚本を是正、本性を強化します;
慈悲で本性に戻る究極のマインドフルネス3ステップ
いまここ、あるがまま、なりきった「慈悲のシステム」は、無分別智から始まります。慈悲は、100年ライフを生きる智慧とエネルギーとなり、エンドレスにワンダフルな旅をループします。慈悲の心は何もせず放っておいて生まれてきません。自らが育てていくものです。育て方が3大基本「無我・縁起・慈悲」に集約されます。


星の王子さま特集

マインドフルネス 不器用女子 ライフスキル
アサーティブネス ライフプラン&ライフシフト 仕事のゴエス
タイトルとURLをコピーしました