「大衆の威神力」という食のシステム思考を応量器でデザインする

こころデザイン

こんにちは、人生100年時代のマインドフルネスなライフデザイナー、コーナンダアNです。

禅寺の食事は、魚鼓の音にはじまり、みんなでいただくから楽しいといいます。
しかし、食事中に会話をするわけでもなく、黙々と静かに音を立てずに作法通りにいただきます。

なのに、なぜ、みんなでいただくから楽しいのでしょう?
気づかなかった「ライフデザインの秘訣」を探ってみます。

食器は「大衆の威神力」の一部です。

一汁一菜の献立

一汁一菜の献立を、みんなで分け合っていただくよろこびには、「大衆の威神力(だいしゅのいじんりき)」という言葉があります。

一汁一菜とは、ごはんなどを主食に汁物一品、菜食一品を添えただけのシンプルな献立です。飽食の時代と言われ栄養過多が心配される現代に、健康を取り戻す昔ながらの食事法です。

お坊さんのみならず、お医者さんも奨める献立をただ食べるのではなく、正しい持続可能な社会と私をつなぎ禅の作法でいただくことにライフデザインにする意味があります。
つまり食器は食べる準備を整える道具、自己マスタリーを育む道具です。
ただ食べ物を入れる容器ではないのです。

毎日の暮らしにシステム思考を取り入れる

システム思考

禅の作法・・・・聞いただけで固苦しくて逃げ出したくなりますよね。

大衆の威神力(だいしゅのいじんりき)」とは、ひとりではくじけてしまうことでも、みんなでやると楽しくやり遂げてしまうという意味です。
現代風にいうなら「システム思考という工夫」です。

禅の作法は、なじみがないので、きっと苦しいと思いますが、思い込みです。
習慣にないだけです。
禅は道理のかたまり、豊かで健康的な暮らしのために、自分と周辺を整理整頓すると腑に落ちて納得、ライフデザインにしたいことばかりです。

システム思考(Systems thinking)

複雑化する社会を持続可能に維持していくには、システム思考が欠かせないといいます。自然界では、大気、水、植物、動物などが複雑に相互依存の関係にあります。近年の自然災害は近視眼的に便利さを求めた人間が多様な要素を含む生態系(エコシステム)を破壊したからだと指摘されています。システム思考は問題解決の技法です。

人間が創造した組織も生態系同様に、組織を健康や不健康にする機能する人、構造、プロセスで構成されています。システム思考は相互依存の関係を見抜き短絡的な解決方法を使わず全体を考慮した打ち手を選択するようにするものです。

システム思考をライフデザインにする理由

4つの無形資産

人生100年時代は、金融資産といくつかの無形資産に恵まれた者には素晴らしいことです。
学びもせず勤労意欲もなく、自堕落な暮らしをしているとどんどん遠のき不幸の連鎖に陥ります。なので、誰もが手に入れる努力をするべきものです。

ところが人にはメンタルモデルがあります。
「こうやったら、ああなる」という頭の中のイメージ、つまり固定されたイメージ=思い込みです。メンタルモデルは人によって違い、因果に影響しています。
金融資産を育む無形資産に恵まれない原因は自分にあります。
メンタルモデルがシステム思考をさせないようにして邪魔をしています。

禅は禅問答のように柔軟な発想をトレーニングします。
無形資産から生まれる自律した自由自在な発想はシステム思考になくてはならないものです。

ライフデザインにしたくなる「大衆の威神力」

システム思考

「大衆の威神力」とは、前述したように、みんなでやると楽しいのでエネルギーになるという意味で、システム思考の基礎です。

システム思考とは、複雑なシステムの根底にある「構造」をとらえ、影響力の大きい変化と小さい変化を識別、最適を選択できる能力。

たとえば、システム思考ができないドクターに膝が痛いと言えば切って人工関節を入れると返ってきます。

システム思考するドクターならこんなふうに熟慮します。患者の年齢を考え、手術に係るリスクを計算し、生涯何度手術が必要か、そのためのリハビリ年数を総合計して、いまは辛いが痛みに耐えて過ごす方が結果的に痛みの期間は少ないから手術はしない、薬を服用することも不要と診断します。

持続可能な社会のために「システム思考」が不可欠と言われる所以です。

食事をシステムにする食器

食事をシステムにまで高める役割を担っているのが食器です。
食器を使うのは人間だけです。

禅では、戒尺の「音」を合図に、修行僧は席のつき、袱紗を紐解き、上の画像のよう袱紗に包んであった「応量器」を並べます。応量器とは禅僧が食事の際に使う食器で、主に曹洞宗の呼び方です。

臨済宗では持鉢(じはつ)、黄檗宗では自鉢(じはつ)と呼びます。

入れ子状に重ねられた5つ(黄檗宗では3つ)の黒い容器からなり、袱紗、膝掛、浄巾(じょうきん)、水板(すいばん)、鉢単(はったん)、箸、匙、刷(せつ)などが付属しています。並べ方、扱い方に作法が決められています。

粥を受ける最も大きな器は、釈迦の頂骨とされ、頭鉢(ずはつ)と呼びます。
頭鉢は特に大切にしますので、直接口をつけてはいけないという作法があり、ぞんざいな扱いは厳禁とされています。頭鉢は、托鉢の際に布施を受ける器にも用いられます。

食事はシステム思考の基礎

食事とは、自然と一体になった意志の及ばない大自然の仕組みです。

洗い物まで組み込まれた禅の作法は、持続可能な社会を念頭に置いた典型的なシステム思考の基本です。

食事には、たくさんの人々の労苦があって、与えられるものという考えがあります。
一般に私たちが「いただきます」というのも、持続可能な社会を守る心のひとつです。

みんなの力を結集して「大衆の威神力」を機能させることができるのも人間が工夫するからです。

さらに禅宗では、「大衆の威神力」を高めるために、同じ姿勢で速度も合わせて食べるので時間と空間も共有します。
最後に「洗鉢」したあと、残った水を川に戻します。

「三心〜喜心・老心・大心」ライフデザインは食からはじまる。
食事を作る心に「三心」という教えがあります。「喜心・老心・大心」です。「喜心」というのは巡り合わせを喜び感謝する心。「老心」とは、一般にいう「老婆心」です。親が我が子を思う心です。水やお米を見るにつけても、我が子を養う気持ちをもって調理する心。「大心」とは、分別せず偏らない心です。ライフデザインにしたいですね、

「洗鉢」に知るライフデザインの極意

洗鉢(せんぱつ)」とは、文字通り、食べ終わった全ての器にお茶を注ぎ、たくあんできれいに洗って、全て飲み干すことをいいます。

頭鉢は特に大切なものなので、頭鉢を洗ってからそのお茶で順番に他の器も同じように洗い、最後にそのお茶は飲み干します。さらにお茶や水が余っていたら、川に流すあるいは庭の植物に与えて、循環させるようにします。

自分で使ったものは自分できれいにすることで、自己マスタリーを高めるトレーニングになっています。

自己マスタリー

  • 私たち(個人)のパーソナルなビジョンを明確化・深化し続ける
  • 私たち(個人)のエネルギーを集中させる
  • 忍耐力を育てる
  • 現実を客観的に洞察する

食器にどんな機能があるのでしょう?

そもそも仏教(=哲学)には、因果(原=結)、道理という大原則があります。
悪い結果には悪い原因がある。物事には理にかなった道筋がある。というもっともなルールです。これを無視すると思わぬ結果になるという意味です。

気持ち良い暮らしを実践するには、このルールから外れないことが前提条件です。

ブッダの言葉に「随所に主なれ」という教えがあります。
でも仏教では「無我」を説きます。
「無我」自分はいないのに「随所に主なれ」。
・・・ずい分矛盾しているように感じます。

「無我」には「自分」は実体のないものという教えがあります。
自分の脳に投影されているだけで、夢みているような存在でチリみたいなもの。

「随所に主なれ」は、自分を極めなさいという教えが込められています。

自分を極めることもせずに他者の言いなりになって何の人生か!
ほんらいのいのちを大切に生きなさいという厳しくも最大限の優しさが込められています。

食事のマナーにも自分のライフデザインが息づいている、そんな毎日を大切にすることは、Be Cool!

アンアン

まとめ

「大衆の威神力」という食のシステム思考をデザインしましょう。

食事をみんなでいただく理由には、(広義の)団体生活=地球はみんなのものという前提があります。なので一人暮らしの方も対象です。
応量器を使った食事をルーティンワークにしませんか?

病人、体調不良、から立場の違い、それらに関係なくみんなで分かち合います。
みんなで同じモノを時間、空間を使って分かち合うことが大自然とともに生きる体感に他なりません。もともと人は意志の及ばない仕組みのなかで共生しているのです。

なぜ、大自然のシステムなのか。
ひとりでは、現在行っている「私たちの生活」は実現不可能だからです。掘り下げていくと、新しい発見に出会えそうです。

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