ライフデザインをまとめる上で欠かせない、やる気=動機づけ(モチベーション)になるものが、3つあります。
- 自分とはなにか?
- 生きる(死ぬ)とはどういうことか?
- 他者とはなにか?
ライフデザインに影響する3つのテーマがどういうことか、説明します。
自分とはなにか?
「自分とはなにか」という疑問は、人が生きるための3大テーマのひとつですが、仏教では「自分はない」と答えます。
三蔵法師がインドから持ち帰り翻訳に生涯を投じた唯識では、八識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識)のみが実在するとしていて、そこには身体がありません。
そんなバカなと誰でも思いますが、病気になれば自分が身体をコントロールできていないことを思い知ります。
身体の秘密はそこにあります。身体の構成要素は水素と酸素、ついで炭素、窒素の順です。宇宙は水素と酸素の間にヘリウムが入りますが、これを除けば人間と同じです。
ヒトにヘリウムがないのは星より軽いヒトの体重ではヘリウムガスを引き留めるだけの引力がないからです。つまりヒトも宇宙も同じ成分でできています。
ヒトは宇宙のひとかけらで、死んだら星になって。。。なんてロマンチックもあながち嘘ではないのです。「自分」の自は自然の自、分は分身の分。
つまり自分とは自然の分身なのです。「自分とはなにか」そんなこと考えて何になるというヒトもいますが、もっとも大事な質問だということが解ります。
生きる(死ぬ)とはどういうことか?
仏教では「涅槃寂静」と言う言葉があります。
煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)に達すること。
菩薩は釈迦の修行時代の呼び名です。
「釈尊が菩薩時代に生まれ変わり、死に変わり、人々に与えた血液は四大海の水の量よりも多く、施した骨の量を積めばスメール山よりも高くなる」という物語の一節が経典にあります。ブッダ亡き後の仏教を広めるための嘘ですが、これが悟りを求める人である菩薩の概念で「菩薩行」となりました。
この具体的なプロセスが八正道であり、一貫して、支えるのが慈悲と智慧です。すべては空(=ゼロ)であるとする慈悲と思い通りにすることをあきらめる智慧。
いかに生きるかとは菩薩行を行うことに他ならないですが、知っておくべき重要なことがあります。哺乳類は脈拍数が20億回に達すると一生を終えるということです。ネズミも象も同じですが、ネズミは1秒に1回、象は3秒に1回と、同じ20億回でも寿命が違います。さらに人間は医療の発達もあり、現実は20億回を超えて生きています、
そこに菩薩行がどうあるべきか、答えが潜んでいます。
生まれ変わり、死に変わり・・・つまり生きながらの生死輪廻です。200年時代のライフシフト(ワークシフト)にぴったりはまる概念ではないかと思うのです。
他者とはなにか?
自分の顔を自分で見ることもできない。他者がいなければ自分もいない。
人は誰でも他者を通して自分を認識するしかないのです。
自分の持ち物であるはずの身体が、自分の持ち物で無い。
喜びも悲しみもも、自分以外のものがあってこそ生まれます。これが縁起の理です。
自分の子どもではなく、子どもの自分、自分の妻ではなく妻の自分。同じことを語っているようですが背景が違います。他者がいて自分がある。つまり宇宙には、もうひとりの自分がいるのです。
しかし、その他者も自分も仮の存在であり、実体として存在しない。縁起の関係的にあるのだと認識することが重要です。他者を愛することが自分を愛することになります。
その愛とは慈悲・慈愛です。他者を助けることが自分を助けることです。
まとめ
最高の人生にするライフデザインの3大テーマ。
- 自分とはなにか?
- 生きる(死ぬ)とはどういうことか?
- 他者とはなにか?
掘り下げるほど、疑問がわき、疑問に答えるほど、人生が楽しくなります。
ひとことに集約すれば、「今日を最後のように生きる」に尽きます。
ブッダが「自灯明、法灯明」と遺されたように、自分を頼れ、法に頼れ、つまり否定の連続によってようやく成し遂げられる生き様です。
すべてはゼロであり。有るのでもなく、無いのでもない「非有非無」であり、空である。空とは、数字のゼロ、あるといえばあるし、ないといえばない。といいます。空とは言葉で言い表せないもの。
つまり、すべては縁起なのです。縁があって物事は生起する。
有ると無いとにこだわらず、自ら空をつかめ、空になれ、空を悟れ、行けるところまで行け。と精進を慈悲は応援します。