映画は面白ければいい。
魂を清めるとか、高めるとか、映画館は教会じゃないんだからね。
ないしょにしておきたいお気に入りの映画からは、ないしょの素顔が垣間見えるようです
そうそう、楽しい映画にはお気に入りのライフデザインが垣間みえますよね。人生は「面白い」はどうかですから。
『バクダッド・カフェ』とは?
出典 https://eiga.com/movie/47884/
『バグダッド・カフェ』が、日本で初公開されたのは1989年3月でした。ミニシアターで公開されロングランヒットを重ねた名画は主題曲とともにたくさんの人の心を掴んだことで知られています。アメリカが舞台なのに、異国情緒が漂うイメージはドイツ資本と提携しているからでしょう。ただし『バグダッド』の意味は、同名の中東の都市のことではなく、撮影地であるカリフォルニア州ニューベリースプリングスの地名(en:Bagdad, California)です。
『バグダッド・カフェ』は、ラスヴェガス近郊のモハーヴェ砂漠にあるうらぶれたダイナー兼ガソリンスタンド兼モーテルである「バグダッド・カフェ」に集う人々と、そこに現れた旅行中に夫と別れたドイツ人の女性旅行者(ジャスミン)がそこで働くことになってはじまる交流を描いた、大人のファンタジー。
『バクダット・カフェ』あらすじ
ドイツから旅行に来た夫婦がラスベガスを目指して走行中、レンタカーの中で喧嘩を始め、妻・ジャスミンは車を降り、自分の荷物を持って飛び出してしまう。
ジャスミンが重いトランクを引きずって歩き続けた先には、砂漠の中に孤立したように存在する、さびれたダイナー兼ガソリンスタンド兼モーテル「バグダッド・カフェ」があった。そこでは年中怒っている女主人・ブレンダが、仕事をしない夫を追い出したところだった。
モーテルの部屋を借りたジャスミンは、部屋の壁に飾られた、2つの太陽が輝く空を描いた風景画に魅了される。われに返り、着替えようとトランクを開けると、そこに入っていたのは夫の着替えや生活用品だった。部屋の掃除に入ったブレンダは、男ものの服やひげ剃りなどが部屋に広げられているのを見て不審を抱く。
暇をもてあましたジャスミンは、勝手に店の大掃除をしたり、赤ん坊をあやしたりするうち、バグダッド・カフェの店員のようにふるまうようになり、少しずつブレンダの警戒を解いていきつつ、カフェに集う人々とも打ち解けていく。
夫の荷物の中に入っていた手品練習セットで遊ぶうち、手品の腕前が上達し、カフェの客に披露すると、評判が評判を呼んで、かつて閑古鳥が鳴いていた店は、マジックショーを上演するダイナーとして繁盛する。
地元の保安官が店に現れ、ジャスミンにビザの期限切れと労働許可証の不所持をただし、ドイツへの帰国を命じる。ジャスミンが去ったバグダッド・カフェには、人々が寄り付かなくなった。
しばらくすると、バグダッド・カフェにふたたびジャスミンが現れた。
カフェの人々とジャスミンは、再会を喜び合う。ふたたびマジックショーを上演する日々、ジャスミンの部屋を、店の常連客の老画家・ルディがたずねる。
ルディはジャスミンの部屋にある風景画の作者で、画家とモデルとして頻繁に会ううちに、互いに惹かれ合う。ルディは「再会できてうれしいが、このままではふたたびビザの問題が起こる。アメリカ市民と結婚すれば問題は回避できる」と告げる。それは不器用な結婚の申し出だった。ジャスミンは「イエス、ブレンダと相談するわ」と返答した。
ファンタジーを現実にする
このファンタジーを現実にしてしまった女性が、以前、我が社で働いていた女性スタッフ。
ミニシアターで人気だったリアルタイムではなく、「名画座」で『バクダッド・カフェ』鑑賞してから、退社を依願、英語スクールで働きながら英語を学び、そこそこのスキルを見つけたかと思うとコネもなく、英会話スクールで貯めた金と英語を持って、単身アメリカに行ってしまった。
5〜6年したある日、「一時、里帰りします」って連絡がありました。
帰国したので会ったら、アメリカで働き、結婚して、ベイビーもできたって・・・
お母さんを早く亡くして、お父さんと二人暮らしだったので、思い切ったもんだなって感心しましたね。
映画の主人公と違って、細身で小柄な彼女のどこにそんなパワーがあったのか。
一本の映画には、人の人生を根こそぎ変えてしまう力がある。
因果のかたまりである自分はもともと変えられないのだから、自分を生きるしかない。ならば変えれれない自分を変えようとせず、変えられない自分をひたむきに生きるしかないし、それがいちばんということです。
自分の人生
ライフデザインとか、ライフスタイルを探し求めている人は、指導されたがっている。
1999年、世紀末に大ヒットした映画『マトリックス』が描破したように、社会の枠組にはまってしまうと、現実と仮想の見分けがつかなくなります。その中で確かなものを求めて「自分探し」をする心理は健康です。マトリックスに次のセリフがあります。
他の者がそうであるように、君もまた囚われの身に産まれ、君が嗅いだり、味わったり、触れたりすることのできない刑務所の中に産み落とされた。”心”を支配する刑務所だ。
こころの刑務所から出ようとして、いくらやっても出口が見つからない。
現実とは行動でしかないからです。
自分の目で見て、掴むしかないのだ。
つまりリーダーシップとは、道先案内人、だから誰より先に自分の道を知っている必要がある。
リーダーシップは僥倖の旅だとも言った。
幸運を阻害する罠が4つあると言う。『アルケミスト 夢を旅した少年』です。
この「神話のひとつ」から解き放たれるだけでも、一生を使い果たしそうだけど、リーダーシップとは人間の可能性を解き放つことだから、前兆を見逃さずに、リーダーシップを使えばいい、彼女はヤスミンの背中が開いた扉に続いた。
選択は無限大
そもそも外国に全く興味もなかった人だっただけにどこでどうなったのか。
振り返ると、ウチで働いているときに、慰安旅行でハワイに行ったんですよね。
彼女には初めての海外体験でした。
それでカルチャーショックを受けたのか、よくわからないけど、決定打は「バクダット・カフェ」だったわけですが。
🎵 わたしはあなたを呼んでいます。
わたしはあなたが聞いているのを知っています。
ベガスからどこにも行けない砂漠の道、
あなたがいた場所より良い場所があります。
修理が必要なコーヒーマシン
曲がり角の小さなカフェで。
呼ばれるままに彼女も行ってしまった。
彼女もコーヒーマシンの修理に一生を投じたのかも知れません。
均一化される人生から荒野へ
一本の映画を観て心に湧く感情は人それぞれ。
どんなシーンにグッときて、どんな影響を受けたのか?
なんで、「バクダット・カフェ」?
映画観て、それだけで(?)「英会話スクールで働いて、単身行ってしまうか」と謎でしたね。
自分は「バクダット・カフェ」って知ってなくて、その話を聞いてから、映画観たんです。
ラスヴェガス近郊のモハーヴェ砂漠のうらぶれたカフェに現れたドイツ人旅行者ヤスミン(ジャスミン)がそこで働くことになって・・・ヤスミンとカフェに集う人々の交流を描いた映画。
ハワイだったら解る気がするけれど、ラスヴェガスに行ってもいない彼女が何に感動したのか、いくら考えても、人って解らないですよね。
“アリストテレス”のコーヒー
古代ギリシャの哲学者アリストテレス(Aristotelēs)は「将来の目的や計画を一旦忘れて、いまここ、この瞬間のやりたいことに、やるべきことに熱中しろ」と言っています。
アリストテレスはプラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、西洋最大の哲学者の一人と呼ばれる人物です。
アリストテレスは、様々な行為を「活動(=エネルゲイア)」と「運動(=キーネーシス)」に区別しています。アリストテレスはなんのために2つに区分したのでしょう。
アリストテレスが二つの言葉で分類したのは、混乱しがちな「いまのため」「未来のため」をはっきり整理するためです。そこで注目すべきは、『快楽は本来”活動”に他ならず、それ自身が目的なのだ』と言うアリストテレスの言葉です。
- 「エネルゲイア」とは、現在進行と完了が同時に成立する行為であり、いまこの瞬間に集中する行為のことです。
- 「キーネーシス」とは、将来の目的を最優先にした行為で、「目的がいまの”自分の外”にある行為」であり、いまの自分の楽しみを犠牲にして将来の自分のために備蓄しておくような行為だと言ったのです。
でも、みなさん。
「エネルゲイア」は刹那の快楽に任せて、その瞬間、瞬間に生きるために、将来に不安を積み残すもではないかと感じるのではないでしょうか。
逆に「キーネーシス」こそ計画的で将来の不安を減らすものではないのか。と思いませんか?
しかし実際は反対なのです。
「エネルゲイア」とは「いまここ、自分にとって楽しく充実している状態」がそのまま「すでに成し遂げた成果(未来)」になるとアリストテレスは唱えたのです。
たとえば会議に不安があって参加したけど、不安から夢中で資料を準備しているうちに無心になりフロー状態になり、会議で発した意見が周囲から絶賛されたという経験はないでしょうか。これが「エネルゲイア」の魔法です。
「キーネーシス」の場合、最初からいい結果を狙って目的から逆算していまやるべきことをやるのは計画的で賢いようですが、実際には「いまここ、この瞬間に集中していなくてフロー状態になれずストレスが積み上がることは少なくないのです。
結果はどうあれ、手抜きすることなく、無欲にプロセスをひたむきに楽しむ。人はそんなときにこそ高いパフォーマンスを発揮して自然と結果がついてくるのではないでしょうか。
つまりいい結果とは、なりきって楽しんだ「おつり」なのです。
壊れたコーヒーマシン
『バグダット・カフェ』に普通の白人は登場しません。みんなコーヒーマシンおのように壊れかけだけど。感受性にアメージング。
不思議なのはストーリーもストーリーですが、主人公たちのキャラの違い。
ブレンダは終始、怒りの感情を周囲に放ちまくります。自分が世界の中心で、自分の周りを自分が動かしているのだと思いこんでいます。そんな彼女のまわりに集まるのは受け身な人ばかり。
世界の中心である彼女は重力の中心であり、彼女のまわりには程良い重力をもった人々だけが程良い距離感を保っています。だから、彼女の言う事が聞けない人は彼女のもとを去っていきます。旦那もその一人です。
一方、海外からやってきたヤスミンは受け身の性格。感情を表に出しません。何を考えているのか本当に分からない。存在で物語るタイプの人がいますが、彼女はそんなタイプでもなく、まるでどこか違う世界を生きているかのようです。
両者は、全く違うキャラでとんがっています。
自分が知り合った海外から日本に来た女性たちは、もう少しキャラが鮮明だったように思いますね。親の干渉から一時的に逃げるためとか、友人と一緒だからとか、ヤスミンが通りがかりの旅行者だったからだと思います。
アメリカに行ってしまった彼女の場合、何かを求めていたんですね。なので余計に『バクダットカフェ』に影響を受けて行ってしまったのがわからないのです。
やっぱりコーヒーマシンとドイツ人が落とした拾ってきた代用品の黄色いポッドのせいなのかな?と思わざるを得ないのです。
太ったヤスミンの身体からにじみでる優しさや愛に共感して、彼女もヤスミンのように生きてみたいと思ったかもしれません。
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街も地方もピカピカに均一化される日本を飛び出して、荒野を自分らしく生きる彼女のないしょの素顔、素敵ですよ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
まとめ
『バグダットカフェ 』『マトリックス」『アルケミスト 夢を旅した少年』『星の王子さま』さらに古代ギリシャの哲学者。脈絡もないようですが、人生は、世界は、見えない輪でつながっています。見えない輪には「前兆」が潜んでいます。
「将来の目的や計画を一旦忘れて、いまここ、この瞬間のやりたいことに、やるべきことに熱中しろ」とアリストテレスは言ってます。砂漠にある『バグダッド・カフェ』に辿りついた旅行者、太ったヤスミンがみんなから愛されるのは「いまここ、この瞬間のやりたいことに、ひたすら集中した」からです。人生は旅に喩えられますが、ヤスミンのような旅はいかがでしょうか。