セリフで理解するマトリックスレザクションズ|僕は狂ってるのか?

カルチャー
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映画『マトリックス』で、200年ライフのライフデザインを整える『いきいきゴエスNaoman-Minoru=Minoru」です。今回はシリーズ最新作『マトリックスレザレクションズ』から「僕は狂ってるのか?」を解析します。

 

 

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大きなこと言って大丈夫なのか?

言うのはタダだというけど・・・

『マトリックスレザレクションズ』僕は狂ってるのか?

世紀末から20年を経て『マトリックス』をとりまく国力のバランス、政治、大衆文化の状況は大きく変化したことは動かしようがありません。『マトリックスレザクションズ』も新型コロナの影響を受け、一時製作を中断せざるを得なくなりました。
では、どう変わったのでしょう。

冒頭の画像のシーンはオープニング早々に登場します。
ネオは英語で「My Crazy」と話しているので、直訳すれば「私の狂気」になります。

まずこの「僕は狂っているのか」は、そこだけとると誤訳になりますが、
「僕は狂っているのか」のあと、カウンセラー(アナリスト)は、ここではIt’s pretty common hereと返事しているので、「マトリックスでは当たり前だ」と言うような意味になります。

翻訳の道筋を考慮した訳し方なのです。
なので逆算して、「僕は狂っているのか?」にしたのでしょうね。
要はすっきりしないネオの気分を強調したのでしょう。

「私の狂気」とは、どういう意味でしょう?
狂気か、狂気でないのか、それを分ける基準はなんでしょう。
正常の枠内にいるのか、枠からはみ出しているのか、どう認識すれば良いのか、という問題になります。

フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、監獄に入れられた人間は常に権力者のまなざしにより監視され、従順な身体であることを強要されている。功利主義者として知られるベンサムが最小限の監視費用で犯罪者の更生を実現するための装置として考案したのが、パノプティコン(一望監視施設)と呼ばれる刑務所である。
さらに近代が生み出した軍隊、監獄、学校、工場、病院は、規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として同一の原理に基づいていることを指摘したのです。

見えない他者を気にして「同調圧力」で自分を自縄自縛するように仕組まれたメカニズムからの脱却を訴えています。「同調圧力に屈して自分の人生を他者に明け渡すな」という警告です。同調圧力を感じてしまう「権力装置」を作り出している社会の枠組みに自ら自分を閉じ込めるなというメッセージです。このメッセージは『マトリックス』の謎解きに使った古代ギリシアの哲学者プラトンが「国家」で述べた「洞窟の比喩」を一歩進めたものと考えることができます。

見えない他者を気にして「同調圧力」で自分を自縄自縛するように仕組まれたメカニズムからの脱却を訴えています。ウォシャウスキー姉妹が身をもって示したように、1984年に亡くなったミシェル・フーコーは「懸命になって『ゲイ』になれ」と訴えました。決してゲイのすすめではなく、社会の枠組みに自ら自分を閉じ込めるなという意味です。

THE ONE つまりONE 世界はひとつ

THE ONEは「救世主」という意味で使われていますが、ONEは表も裏も含めてひとつなので、現実世界、仮想世界含めてひとつだという引っ掛け的に表現に通じています。

第1作の『マトリックス』では、「現実とは何だ?“現実”をどう定義する?」とモーフィアスが問いかけます。さらに「現実とは君が脳で解釈した電気信号にすぎん」とも言いました。

「現実」であっても、 そもそも「思考」で「現実」だと認識しているので「脳」が作り出している「仮想」に過ぎないのです。だから現実も仮想も含めてONEなのです。

『マトリックスレザレクションズ』には、「革命のための革命、それでずっと戦いを続けるってことは、抑圧と同じことだ」というセリフがあります。本質から目を遠ざけるものではないのかと疑いが生じます。

「My Crazy」に答えを出す

ネオが「My Crazy」に答えを出すには、他者と繋がるしかないのです。つまりもっとも繋がりたい人トリニティーとの慈悲・慈愛に満ちた愛の交歓が必要なのです。そこにレザレクションズ(復活)の意味がわかります。

人はいろんな悩みに突き当たります。

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課題に最適な哲学がありますが、どの課題も行動なしには解決はできません。行動を間違わないように哲学があるのです。ネオが「My Crazy」と言った裏には解決のための「哲学」を模索していたのでしょう。

My Crazyと対をなす主なセリフを過去のマトリックスから拾ってみました。

  • 答えはあなたを探してる。
  • その疑問があなたをここに導いた。
  • マトリックスはあらゆる所にある。私たちを取り囲むすべてだ
  • 君の目を真実からそらすために作られた世界なのだよ

これらは、どれもモーフィアスが言った第1作『マトリックス』の
I can only show you the door. You’re the one that has to walk through it.

  • 自分が案内できるのは扉までだ。
  • マトリックスが何かということを誰も説明できない。

「自分自身で体験するしかない」に集約されます。どんなに考え、悩んでも頭の電気信号(仮想)でしかない。考えたこと(=行動したこと)が現実になる。
『マトリックスレザクションズ』も3部作同様、敵を倒して万歳的なシルベスター・スタローンの「エクスペンダブルズ」のような映画ではなく、社会の押し付けてきた枠組みから自由になって、本当の自分を取り戻すのは本筋なのです。

反体制について

「マトリックスレザクションズ」では、「革命のための革命、それでずっと戦いを続けるってことは、抑圧と同じことだ」というセリフがあります。

19世紀・20世紀初頭期のアメリカの経済学者・社会学者ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Bunde Veblen、1857年7月30日 – 1929年8月3日)は、消費主義の本質は囚人のジレンマだ。消費主義の勝者は誰もいない。」と唱え、「カウンターカルチャーも消費主義も、同根である。それは、主流主義の拒絶を目に見える形で表明するやり方だったが、同時に自分の優越性の再確認である。」としました。

もっとも顕著な事例がロック音楽です。エルヴィス・プレスリーが登場した時、白人が黒人音楽をプレイする(模擬ではなく、黒人の魂をもっている)と社会問題になりました。人気の凄まじさに反比例するようにエルヴィスパッシングは激しく、メディアもどう扱えばいいのかに腐心しました。エルヴィス自身、反体制を売り物にしたことは一度もなく、天然でした。
以後ビートルズ、ボブ・ディランらが登場しますが、音楽界は反体制を売りものにしました。反体制が商売になると睨んだからです。やがてその傾向はますます強くなりイギリス発のパンクは計画的でした。

世紀末から20年を過ぎた『マトリックスレザクションズ』では、体制VS反体制の構図から離れたようです。

反体制より、「woke(ウォーク)」に重心が移っています。

woke(ウォーク)
awake(目覚める/悟る)という言葉をベースにしたスラングで、ソーシャル・アウェアネス(社会で起きていることに対する認識)があることを意味する。今起きている社会問題に対して認識や理解を深めようという意味で、「stay woke(ウォークでいよう)」というフレーズがSNSで使われ出して流行した。

うがった見方をすれば反体制はビジネスにならない、今起きている社会問題つまり偏見や差別にあると言い出しかねないコメントがリリー(旧アンディ)・ウォシャウスキーから発表されました。

『マトリックス』は、変わりたいという願いを描いた映画です。
しかしそれは、秘められた視点から語られています。
だから私たちはスウィッチという、現実世界では男性でマトリックスでは女性のキャラクターを作ったのです (リリー・ウォシャウスキー)
2012年に兄のラリーが性別適合手術を受けたことを公表後、リリー・ウォシャウスキー(妹)は、同性愛者やトランスジェンダーの人々が、意志に反して事実を暴露されることで殺されたり、自ら命を絶つ場合もあることに言及、社会から冷たい目で見られながらトランスジェンダーとして生きるつらさに共感しながら一緒かけてトランジションを続けていく覚悟だとしています。
尚、『マトリックス・レザクションズ』の監督はラナ(ラリー)・ウォシャウスキーが単独で担当しました。

まとめ

人はひとり、ひとり違う。社会の枠組みに閉じ込めようとするのではなく、自由であっていいのだ。「My Crazy」という質問には、カウンセラー(アナリスト)は「ここでは誰でも一般的にそうだ」と答えましたが、その本質は「ONE」であることに揺れているということではないでしょうか?理由は「ONE」だからです。

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