見えぬけれどもあるんだよ 。見えぬものでもあるんだよ。
こんにちは、いきいきゴエスのNaoman-Minoruです。「人生200年時代」のライフデザインと愛の研究者Naoman-Minoruにとって「家(スイートホーム)」はエンドレスに大事なテーマです。
カクタスローズが泣ける「リバティ・バランスを射った男」は愛の映画ですね。
いまの若い人にとって、すごく遠いところのある映画だと思います。
しかし、アカデミー監督賞を史上最多記録の4度受賞しているジョン・フォード監督の「リバティ・バランスを射った男」は女性に観て欲しい映画の一本です。
「リバティ・バランスを射った男」は、よくありそうで、とんでもないラブロマンスでもあるからです。それをセリフ、表情のみならず、場面のひとつひとつ、小道具のひとつひとつ、明かり、暗闇で表現しています。
リバティ・バランスを射った男 1962年/アメリカ/西部劇/
「リバティ・バランスを射った男」を、最初見たときは子どもでした。
名作「駅馬車」のジョン・フォード監督。
アカデミー監督賞を史上最多記録の4度受賞した西部劇の神様と呼ばれた名監督のもとに、
アメリカのタカ派を代表するデューク(公爵)の異名を持つジョン・ウェインとアメリカの良心のようなジェームス・スチュアートが初顔合わせで集結。と、いっても若い人にはピンとこないどころか聞いたこともない世界。
子どものとき、おもしろくも、なんともなく、飴玉もらっても眠りそうな映画だったけれど、このメンツでモノクロ・スタンダードで製作されたのが気になっていて大人になって見直したら、これは彼らの最高傑作だとわかりました。見かけで判断してはダメの典型。それに世間の評判もまったくあてにならない。アメリカって国は本質で捉えるところはちゃんと捉えるようです。星5つのジャンルを超越した名作です。
唸るところをひとついえば、なにがすごいかって光と闇の動きと人間の心身の動きが連動している、つまりいつだって人生は逆算なのです。これについて決定的な映像を3つピックアップします。
この映画はサボテンの花が重要な意味、役割をしますが、主人公のひとり、①ジョン・ウェイン扮するトム・ドニファンが、荒野に咲いていたサボテンの花を愛するハリーに贈るためにレストランの裏口のドアから入ってきます。つまり闇から光の場所に入ってきます。そのサボテンをハリーはよろこび庭に植えます。②サボテンは一旦、光の場所に入ったものの闇へ移動します。トムは光の中に入れないことを示唆しています。そしてハリーの美しさをサボテンの花以上だといい、部屋から出て行きます。③見送るハリーだけが明かりに照らされた部屋に残り、トムは闇に消えていきます。ハリーのトムを迎える態度、よろこぶ態度、見送る態度のどれもにトムへの愛が表現されています。ラストシーンで暗い部屋に設置された棺の上に置かれたサボテンの花を見るハリーのまなざしにもトムへの感情が凝縮されています。亡骸になったトムは棺を置いた暗い部屋から出ていくハリーについていくもできず、暗い部屋に設置された棺によって荒野にも住むことさえ叶わなかったことを表現しています。
ブラック&ホワイトのモノクロで撮影した理由が解りましたね。
トムはハリーと家庭を持つことを夢見て家を増築していましたが、完成して光であるハリーが住むまでは、「捜索者」のイーサン同様、闇で暮らす荒野人でしかないのです。そしてイーサンが荒野へ還って行ったように、いいえ、トムは荒野からも追い出されてしまったのです。
それもあり鑑賞3度目は冒頭から涙が溢れて止まらなくなりました。
そばに人がいたら、クレジットが終わるといきなり涙こらえてもこらえてもあふれてくるんだから、気がヘンになったと思うでしょう。さらにラストも涙のラッシュです。
歌は物語を語っているけど本編とは無関係です。当時ヒットしていたようで、歌は歌として良い。不器用な俳優といわれたジョン・ウェインから放たれる見えない演技が一層、悲しみを盛り上げるのです。
数々の名作を世に放ったジョン・フォード監督はこのあと女性を主役にした一作を遺して他界しました。
捜索者
ジョン・フォード監督とジョン・ウェインのコンビでは「捜索者」が最高傑作だと評価が高いのですが、「リバティ・バランスを射った男」と共通しているのは「家(ホーム)」です。
ジョン・フォード監督が追い続けたのは「家庭」だったかも知れません。「捜索者」は、先住民に誘拐された女の子を取り戻しに行くお話ですが、主役のイーサン(ジョン・ウェイン)はすでに洗脳されていると考え、撃ち殺そうと考えています。
イーサンは南北戦争が終わって、弟アーロンの家に帰郷します。
そこにはアーロンの家族とイーサン自身が助け、弟アーロンに家族同然に育てられた先住民と白人娘との混血児マーティンが住んでいましたが、イーサンはマーティンに対して先住民に対する偏見を隠せない。ある日。イーサンとマーティンが留守の間に、弟一家はコマンチ族に襲われて虐殺され、ルーシーとデビーの姉妹も連れ去られてしまいます。
「家に帰ろう」
コマンチ族への復讐とに誘拐された姪たちを救出するために、イーサンとマーティンは捜索の旅に出発。途中、ルーシーの死体を発見、ますます復讐の鬼となった捜索者イーサンは、デビー(ナタリーウッド)の救出に執念を燃やしますが、同時にデビーとマーティンへの感情も複雑になっていきます。デビーはすでにコマンチ族に洗脳されているという考えが強くなっていくからです。それを察知したマーティンは、デビーを守ろうと決意を強くします。
そしてついにデビーを救出しますが、イーサンの感情を察知したデビーは逃げ出し、マーティンはデビーの盾になります。イーサンがデビーに追いついた時、イーサンは思わずデビーを抱き上げて「帰ろう」と言います。安堵したデビーはイーサンの胸に顔を埋めるのでした。
青空の下でイーサンの馬に乗ったデビーの姿を見て、故郷に帰ってきたことを喜ぶジョージェンセン家の家族が彼女を暖かく迎え、6年間捜索者として一緒に行動したマーティンは恋人ローリー(ベラ・マイルズ)と抱き合い家の中に入っていったのです。
一人ぼっちになったイーサンは皆が家の中に入って行くのを確認して砂塵に一人去って行くのです。
ジョン・フォードとジョン・ウェインは「家(ホーム)」に見放された男を描き続けました。
ハッピーエンドで締めくくった名作「駅馬車」でさえ、旅に出る終わりでした。
そして、これを越えるのが「リバティ・バランスを射った男」なのです。
家に帰る目前、焼き払ったジョン・ウェインの悲しみ
「リバティ・バランスを射った男」は、ジョン・フォードとジョン・ウェインのコンビが製作した最後の西部劇で、総決算的でありながら異色の作品です。異色というのは、通常見せ場となる決闘シーンはクライマックスに持ってくるものですが、「リバティ・バランスを射った男」では中盤にあり、決闘の謎がミステリー仕立てになっている点にあります。つまりクライマックスは決闘ではなく、決闘によって、結ばれることのなかった愛の告白なのです。
愛の告白を引き受けたのが朽ちた家の庭に咲いていたサボテンの花(カクタスローズ)。
このサボテンの花(カクタスローズ)には、曰くがあります。
ジョン・ウェイン扮するぶっきらぼうなトム・ドニファンが、愛するハリー(ベラ・マイルズ)に贈った花です。トムの珍しい行為を喜ぶハリーに、ランス・ストッダート(ジェームズ・スチュアート)が本物のバラを見せたいといいます。(注目シーンです!)ハリーはカクタスローズで十分という表情をします。
ハリーはレストランを経営する夫婦の娘で、ランスはレストランで働く新米弁護士。トムはレストランの客で地元の人々から信頼も厚く、ならず者のリバティ・バランスも一目置いていた。
ある日、リバティ・バランスが新聞社の編集長を暴行したことに怒ったランスがリバティ・バランスとの決闘を決意し、トムに射撃を習おうとする。
この一件がトムの人生を狂わせ荒野からも追放してすまことになります。自分の領域外起こったことが自身に影響を与えるというメカニズムが発動してしまうのです。
リバティ・バランスの敵でないことを知っているトムは決闘を諦めるように促す。
そんなある日、決闘の時がやってきた。案の定、ランスはリバティ・バランスの敵ではなく、腕を撃たれて銃も持てない状態にされてからかわれる始末。今度は眉間を狙うぞとリバティが宣言、撃とうとした瞬間、銃声が鳴り響きリバティ・バランスは倒れる。
町は安堵からお祭り騒ぎ、負傷したランスはハリーに懸命の介抱を受ける。
その様子を見たトムはヤケ酒を煽り、リバティ・バランスの子分たちを蹴散らす。
酔って自宅に帰ったトムは、ハニーとの結婚を夢見て建設中だった新居に火つける。
炎上する家からトムを救出したのは、使用人ボンペイ(ウディ・ストロード)だった。
「リバティ・バランスを射った男」として、一躍名をあげたランスは代議士に選ばれるが、先輩代議士から人殺しと罵られ故郷に帰ろうとする。
引き止めようとするトムが決闘の種明かしを説明して、ランスの罪悪感を拭い去る。
リバティが眉間を狙うぞと引き金を引いた瞬間、影から一部始終を見ていたトムがボンペイから銃を受け取りリバティ・バランスを射ったのだ。
「駅馬車」から23年後の「リバティ・バランスを射った男」
ランスはハリーと結婚、代議士になり、政界を上り詰める。
25年後、孤独な暮らしに逝ったトムの葬儀に町に訪れたランスとハリー。新聞記者はなぜこんな小さな町にあなたのような大物議員がやってきたのか理由が知りたいとインタビューを求める。
ランスはリバティバランスの一件を告白するが、記者は西部では伝説が事実だとメモを燃やす。
葬儀が終わり、町を離れるランスはこの町に住む決意をハリーに伝えると、ハリーも「昔は荒野だったのに、いまは緑が豊かな土地になった故郷にずっと帰りたいと考えていた」と告白する。
「棺にサボテンの花を置いたのは?」とランスが尋ねるとハリーは「私よ」と答える。
ずっとスイートホームに憧れ続けた男は、棺に入って、やっとスイートホームにたどり着いたのだ。
サボテンの花にこめた男女の機敏
棺に入った男が、25年前に結婚を夢見て「アイ・ラブ・ユー」をこめて贈ったサボテンの花(カクタスローズ)。
いまは棺の上にチョコンと置かれている。
それを見つめる男は贈られた女性の夫で、棺の男は命の恩人。
愛は自分を表現する手段でしかない。愛するために愛があるわけじゃない。
愛は生き方だ。愛はセンスだ。
「風と共に去りぬ」とアカデミー賞と競い合った1939年の名作「駅馬車」から23年、薄幸の女性を助けて、追われるように戦い続けたジョン・ウェインの旅は「リバティ・バランスを射った男」によってようやく完結します。
「リバティ・バランスを射った男」は、ジョン・フォード監督が自身の影法師でもあったジョン・ウェインに捧げた「幸せの黄色いハンカチ」だった気がします。
孤独と向き合う時間が多ければ多いほど、その宇宙は広大で深いものになる。
カクタスローズは、本物のローズに負けはしなかった。
リバティ・バランスを射った男 スタッフ
監督: ジョン・フォード
助監督: Wingate Smith
製作: ジョン・フォード
ウィリス・ゴールドベック
脚本: ジェームズ・ワーナー・ベラ
ウィリス・ゴールドベック
原作: ドロシー・M・ジョンソン
撮影: ウィリアム・H・クローシア
音楽: シリル・J・モックリッジ
アルフレッド・ニューマン
美術: エディ・イマヅ
編集: オソー・ラヴァリング
出演: ジョン・ウェイン
ジェームズ・ステュアート
公開: 1962
時間: 123 min
「捜索者」の評価
「捜索者」は、「駅馬車」と共に映画の教科書、スピルバーグが惚れ、ゴダールが泣き、近年ますます再評価されている作品です。
ピュリッツアー賞作家グレン フランクル は、「捜索者」を徹底解剖して、製作された背景や時代も研究しています。永遠の愛の「捜索者」と永遠の愛を守った「リバティ・バランスを射った男」にはスイートホームへの憧れ、そして戦わなければ守れない類似点があります。
そのやり方が正しいのかどうか、生きてみなければわからないという現実をトムはランスに、イーサンはマーティンに伝えたのです。
愛を研究する自分には、「家(スイートホーム)」がエンドレスに大事なテーマです。
「捜索者」の評価
- 「映画史上最高の作品ベストテン」(英国映画協会『Sight&Sound』誌発表)※10年毎に選出
- 「AFIアメリカ映画200年シリーズ」
- 1998年:「アメリカ映画ベスト100」第96位
- 2007年:「アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)」第12位
- 2008年:「10ジャンルのトップ10・西部劇部門」第1位[5]
- 2000年:「20世紀の映画リスト」(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第4位
- 2008年:「史上最高の映画100本」(仏『カイエ・デュ・シネマ』誌発表)第9位
- 2010年:「エッセンシャル100」(トロント国際映画祭発表)第41位
- 2013年:「オールタイムベスト100」(米『エンターテイメント・ウィークリー』誌発表)第12位
まとめ
「リバティ・バランスを射った男」を語る予定が「捜索者」の説明になりました。
2つの作品には全くつながりはありませんが、ジョン・フォード+ジョン・ウェインのコンビ作品の底辺に流れている『「家庭」への憧れ』という大きなテーマがあります。
スイートホームですが、主人公には「家(ホーム)」すらあるようでないのです。
「捜索者」のラストでは、イーサン(ジョン・ウェイン)はドアの外に立っていました。
「リバティ・バランスを射った男」では、トム(ジョン・ウェイン)が一途に結婚を望んでいたハリー(ベラ・マイルズ)は明かりのついた家の入口から離れず、トム(ジョン・ウェイン)は闇に消え去ります。訣別の瞬間でした。
ラストシーン、家に入れなかったトムは棺に入ってスイートホームに帰ってきます。
サボテンの花の下、棺の中でようやく恋の成就とスイートホームを手に入れるのです。
エンドレスにワンダフルな映画「リバティ・バランスを射った男」は時空を超えた永遠の魂のはじまりです。